2007年11月28日

YANO SAORI/矢野沙織


YANO SAORI
YANO SAORI

矢野沙織(as)
ハロルド・メイバーン(p)
松島啓之(tp)
ナット・リーヴス(b)
ジョー・ファーンズワース(dr)


2003年録音



 録音当時、矢野沙織は16歳の女子高生だった。

 チャーリー・パーカーと矢野沙織はどこが違うのだろう。

 一方は1920年生まれのアメリカの黒人でジャンキーで、もう一方は1986年生まれの日本の女子高生だ。違うといえばいろいろ違う。
 だが、ぼくのiPodの中では、そういう人物属性は特に意味がない。ふたりとも「Jazz-サックス」というカテゴリーに入っており、同じ曲を演奏している。

 玄人の聴き手なら、二人のテクニックや、アドリブの組み立て方について、あるいは作曲の技法について、差や違いをいくらでも並べ立てることができるだろう。が、あいにくぼくはそういう方面にはとんと疎い。ぼくにわかるのは、いま、どちらか一方の演奏を聴く権利が与えられ、もう一方と手をつないでディズニーランドに遊びに行ける、という選択肢を与えられたら、たぶん迷わないだろうな、ということだ。


 ただし、チャーリー・パーカーと矢野沙織には決定的な違いがひとつある。チャーリー・パーカーは死んでいて、矢野沙織は生きている、ということだ。
 矢野沙織はこれからも演奏を続けるが、パーカーはそうはいかない。これはさしものパーカーにとっても、かなり不利な点だと言えるのではないだろうか。
 いつかはぼくが、チャーリー・パーカーとディズニーランドに行くほうを選ぶ日が来ないとは限らない。

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2007年11月24日

マイ・フェア・レディ/シェリー・マン


マイ・フェア・レディ
Modern Jazz Performances Of
Songs From My Fair Lady

アンドレ・プレヴィン(p)
リロイ・ヴィネガー(b)
シェリー・マン(ds)

1956年録音



 ピアノのアンドレ・プレヴィンってどこかで聞いた名前だと思ったら、今ではクラシックの指揮者として大御所といってもよい立場にある人らしい。64年の映画「マイ・フェア・レディ」にも音楽総指揮としてクレジットされている。なんだかえらい大物だ。
 この1枚はジャズ・アルバムとしては記録を破るくらい売れたらしいが、確かにピアノは聴きやすい。ちょっと品が良すぎる感じはするが。ぼくなんかはもう少し変幻自在にスイングするピアニスト、たとえばオスカー・ピーターソンなんかだったらもっと楽しいかも、などと不遜なことを考えたりもするけれど、それはそれで味のうちなのだろう。

 ピアノがスクエアな分、ジャジーなところを引き受けているのがシェリー・マンの小粋なドラムスで、目立たないところでちょこちょこ小技を使っているのが楽しい。そういうところもウエスト・コースト・ジャズの流儀なのか、あくまでも上品にバックに徹し、回りを押しのけてソロをとったりはしない。
 とって欲しいのに。

 というわけで、よい意味での欲求不満がちょっと残る名盤なのだった。

2007年11月23日

マジシャン&ガーシュウィン&カーン/エロール・ガーナー


Magician & Gershwin & Kern
Magician & Gershwin & Kern

エロール・ガーナー(P)
ボブ・クランショウ(b)
グラディ・テイト(perc)
エディ・カルホーン(b)
ケリー・マーティン(ds)


1974年〜76年録音



 子どもの頃に貝殻を集めていたことがある。デパートでビニール袋に入れて売っている親指の先くらいのつややかな宝貝とか、どこかの浜辺で拾った桜貝のかたっぽとか、そういうのをビスケットの箱に大切に保管していた。当たり前だがたくさんの小さい貝殻には同じ形、色は二つとなくて、しかも誰がデザインしたわけでもないのに、それぞれが、これはこういう形と色でなくてはいけない、と思わせる精妙で不思議な統一性を持っていて、まるで指先サイズの工芸品みたいに見える。それをひとつひとつまじまじと調べるのも面白かったが、たまに畳の上なんかにぶちまえてやるとおもちゃ箱をひっくり返したみたいに賑やかで、それはそれでわけもなく楽しいのだった。


 エロール・ガーナーを聴いていると、ぼくはあの貝殻のことを思い出す。きれいな音の粒を、こうやって賑やかにぶちまけるのは、ぼくが昔やったのと同じように楽しいことに違いない。しかもエロール・ガーナーは、まるででたらめに振りまいたみたいに見える音の粒をなぞって、きらびやかな星座を音楽の中に浮き立たせる、といったような離れ業も見せてくれる。鳥肌が立った。

 エロール・ガーナーをカクテル・ピアニストと呼ぶひとがいるらしいが、ぼくは同意できない。この人のピアノをカクテルを飲みながらなんか聴いてはいけない。


 鼻からカクテル出すぞ。
posted by kiwi at 16:21 | Comment(0) | TrackBack(1) | ピアノ

2007年11月20日

ジョーズ・ブルース/ジョー・パス+ハーブ・エリス


Joe's Blues
JOE'S BLUES

ジョー・パス(g)
ハーブ・エリス(g)
モンティ・バドウィグ(b)
コリン・ベイリー(ds)

1968年録音



 たまに、こんな風に楽器を演奏できたら楽しいだろうなあ、と思わせる音楽に出会うことがある。もちろん音楽は多かれ少なかれそういう部分を持っているわけだが、それがとりわけ強く感じられるのだ。聴いているのも愉快だが、演奏しているほうはもっと面白いに違いない。
 このアルバムなんかはその好例と言えるんじゃないだろうか。名手ふたり、ジョー・パスとハーブ・エリス。丁々発止の掛け合いという感じはしない。笑い声と雑談が聞こえないのが不思議なくらいくつろいで、しかし聞こえてくるのは名人芸。超絶技巧の口笛という風情だ。

 こういう音楽が生み出せるということは、当人にとってはそれだけで福音だと思う。プロであろうと、なかろうと。
posted by kiwi at 23:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | ギター・ベース

2007年11月18日

プリーズ・リクエスト/オスカー・ピーターソン


We Get Requests
We Get Requests

オスカー・ピーターソン(p)
レイ・ブラウン(b)
エド・シグペン(ds)

1964年録音



 友達がある日、ちょっとジャズでも聴いてみようかな、と言い出したとしよう。
 どのアルバムを薦めるべきか?
 
 もちろん、「友達」との距離感や、彼(彼女)の嗜好によっても変わってくるだろう。マイルス・デイビスの「ビッチェズ・ブリュー」とか、オーネット・コールマンの「ジャズ来るべきもの」がベストチョイス、というケースだってあるかもしれない。
 が、もしあなたにとってその友達が大切で、なおかつ彼(彼女)がとりわけエキセントリックな趣味の持ち主でないのなら、オスカー・ピーターソンの「プリーズ・リクエスト」なんかどうだろう?


 この1枚には、モダン・ジャズという音楽のよい部分が凝縮されている。ピアノトリオという王道のフォーマット、強烈なスイング感、縦横無尽のテクニック、余裕とユーモア。録音はかつてマニアがオーディオ・チェックに重宝したというほどの優れもので、選曲は聴きやすいスタンダード集でハイテンポからバラードまでバランスがよく、しかも1曲が短いから飽きるヒマもない。
 で、何よりも楽しい。

 初心者にお勧め=ベテランには退屈、ということにはならない。ぼくは未だにこのアルバムを聴きながら、部屋でちょっと踊ったりしている。まあ、聴き始めて20余年の初心者、ということなのかも知れないけれど、もしこのアルバムが楽しくなくなるのなら、ベテランになんかならなくていいや。
posted by kiwi at 23:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2007年11月16日

メロディ・アット・ナイト・ウィズ・ユー/キース・ジャレット


The Melody At Night, With You
The Melody At Night, With You

キース・ジャレット(p)

1998年録音



 ジャズを聴き始めたころ、図書館でジャズの入門書を借りて、掲載されている名盤を片端から聴く、といったことをした。身近に先達がいるわけではなく、飯を喰いながらテレビのチャンネルを変えたらチャーリー・パーカーがサックスを吹いていた、なんてこともないので、情報の仕入れ先としては本くらいしか思いつかなかったのだ。

 こういう聴き方にはメリットもデメリットもあった、と今になって思う。あちこち聞きかじったせいで、なんとなく土地勘ができたのは、あとになって重宝した。評価が安定しているアルバムばかりだから、やみくもに聴きまくるよりずっと「当たり」が多かった。当時出会って今に至るまで、ずっと聴き続けているアルバムもある。
 一方、あまり好きになれないアルバムも何回かはムリヤリ聴いたので、苦手ができてしまった。「生と死の幻想」のキース・ジャレットはその一人で、以降、ずっとそばに寄らないようにしていたのだ。キース・ジャレットを聴かなくても、聴くべきアルバムはいくらでもある。

 が、キースの令名は高く、何年たっても、あちこちで名前を耳にする。
 となると、ちょっと不安になってくる。
 これだけの数のひとが、あの変な「生と死の幻想」を持ち上げる、なんてことがあるのだろうか? ひょっとしたら、あれはキース・ジャレットの音楽の中でも変わり種で、代表作呼ばわりしているのはヒネたジャズ評論家ばっかりで、本当はもっと面白いアルバムがいっぱいあるのではないだろうか?



 というわけで、もう1枚だけ騙されたと思って聴いてみよう、と選んだのがこのアルバム。
 ミーハーっぽいタイトルを選んだのだ。



 で、結論から言うと、あまり面白くなかった。
 気合いを入れて一生懸命聴こうとするといまひとつ手応えがないし、かといって力を抜いて愉しもうとすると、きれいに流れすぎて印象に残らない。いまひとつ聴き所がわからないのだ。
 


 が、「生と死の幻想」とはだいぶ違うのは確かで、どちらがキース・ジャレットの本質に近いのかはともかく、引き出しをたくさん持っているひとらしいことはわかった。もう1〜2枚聴いても損はしないだろう。


 というわけで、ぼくがキース・ジャレットを好きになるには、もう少し時間がかかるのである。
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2007年11月14日

タイム・アウト/デイブ・ブルーベック・カルテット


Time Out
TIME OUT


デイブ・ブルーベック(p)
ポール・デスモンド(as)
ユージン・ライト(b)
ジョー・モレロ(ds)

1959年録音


 ミルト・ジャクソンに地味目のピアノトリオをくっつけるとMJQができる、わけではないように、ブルーベック率いるピアノトリオにポール・デスモンドを混ぜるとデイブ・ブルーベック・カルテットになるわけではない。構成要素が相互に影響を与えあい、干渉しあって、なにかの拍子にちょっとした触媒作用のようなものが起こり、メンバーひとりひとりの能力や風味だけでは由来を説明しがたい独特の効果が起きることは料理なんかでも時々あるけれど、デイブ・ブルーベック・カルテットもまたそうした一例だ。


 とはいっても、キーとなるメンバーや材料はいるものだ。
 あまり趣味のよいことではないけれど、デイブ・ブルーベック・カルテットから誰が抜けたらデイブ・ブルーベック・カルテットではなくなってしまうのか考えることがある。
 ポール・デスモンドだろうか? もちろん、デスモンドがいなかったら淋しい。思わず畳のヘリをむしってしまうような淋しさだ。だがそれは、ポール・デスモンドの抜けた淋しいデイブ・ブルーベック・カルテット、ではあるような気がする。
 ではリーダーのブルーベックだろうか。もちろん、ブルーベックがいなかったら論理的にはブルーベック・カルテットとは呼べない。にもかかわらず、一泊二日程度だったら、誰かが代わりをやってもなんとかなりそうな気がする。


 ぼくは、ドラムスのジョー・モレロだと思う。代わりがマックス・ローチを持ってきたら別のバンドになってしまう。エド・シグペンやポール・モチアンでも無理だろう。変拍子を売り物にするこのカルテットの屋台骨を、涼しい顔で支えているのは彼だ。彼が風邪をひいたり、ぎっくり腰になったりしてお休みすると、たぶんみんな気づくのだ。
 あれ、これはブルーベック・カルテットじゃないぞ。


 で、ぼくは時々思うのだけれど、男の仕事ってのはこういうのが一番かっこいいのではないだろうか。
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2007年11月07日

アンダーカレント/ビル・エバンス&ジム・ホール


アンダーカレント
Undercurrent

ビル・エバンス(p)
ジム・ホール(g)

1962年録音



 ぼくはいまも昔もスポーツ観戦にはほとんど興味がないが、ひとつだけ忘れられない試合がある。1979年の夏の甲子園、箕島対星稜戦だ。延長18回をフルに戦い、リードを許して凡退すればそれで終わりという最後の攻撃で2回の同点ホームランが飛び出し、しかもうち1回は、フライを打ち上げて万事休すと思ったら野手が人工芝に足を取られて落球し、その直後にホームランで同点に追いつくというマンガみたいな展開で、最後の最後、18回裏の攻撃でサヨナラ勝ちとなった。高校野球史上最高の名勝負、と呼ぶ人も多いその試合を、別に野球ファンでも何でもないぼくは本当にたまたま、リアルタイムでテレビで見ていたのだ。いや、あれは凄かった。何が凄いって、ファイルフライをファーストが落球する四半世紀前のそのシーンをぼくははっきり覚えているのに、どっちが勝ったかは覚えていないのだ。そんなことは本当にどうでもよかったのだ。


 「アンダーカレント」を聴いていると、ぼくはふとあの試合のことを思い出すことがある。「うわあ、そう来るか」「げげっ、返した」といった感覚が、あの試合で感じたものに似ているからなのだろう。もちろんピアノとギターのデュエットは試合じゃないし、そこに偶然の介在する余地もないが(もっと高次の神託みたいなものはあるのかもしれないが)、熟練の技がぶつかり合い、拮抗したエネルギーが重なり合うところに生まれるものは、スポーツだって音楽だってあまり変わらないのかもしれない。

 それは控えめに言っても極上の、世界のあり得べき形の一つの具現だ。
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2007年11月04日

ラウンド・アバウト・ミッドナイト/マイルス・デイビス


ラウンド・アバウト・ミッドナイト+4
'Round About Midnight

マイルス・デイビス(tp)
ジョン・コルトレーン (ts)
レッド・ガーランド(p)
ポール・チェンバース(b)
フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)

1955〜56年録音


 マイルス・デイビスは、フグに似ている。
 どちらも天上的にうまいが、毒がある。
 油断すると、当たる。


 本当かどうか知らないけれど、フグの毒が残っていると、唇がチリチリピリピリするのだそうだ。そうでなくちゃフグは旨くねえ、と言い張る豪傑の話を読んだことがある。
 ぼくはそうまでしてフグの本質に迫りたいとは思わないが、マイルス・デイビスを聴いていると、耳もとがチリチリピリピリすることがある。こっちも同じくらい危険だ。

 マイルス・デイビスは、フグと似ていない部分もある。

 マイルス・デイビスの毒は、その音楽の本質的な部分と一体化していて、引きはがすことはできない。もし分離できたとしても、残った部分はもはやマイルス・デイビスの音楽と呼ぶことはできないだろう。有資格者が注意深く料理すれば、毒の部分を上手に分離できるフグとはその点が異なる。
 マイルス・デイビスを美味くいただくには、その毒に慣れる必要がある。いや、その毒をこそ粋だねえ、と喜ばなければならない。やっかいな話だ。

 ちなみに、毒を喜ぶことを一般的には中毒と呼ぶ。
 1曲目「'Round About Midnight」。かなり危険だ。
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