2008年01月27日

バッド・ノット・フォー・ミー/アーマッド・ジャマル


バット・ノット・フォー・ミー
BUT NOT FOR ME

アーマッド・ジャマル(p)
イスラエル・クロスビー(b)
バーネル・フォーニア(ds)

1958年録音



 アーマッド・ジャマルはぼくにとって不思議なピアニストだ。
 どこかいいのかよくわからないのだ。

 バド・パウエルのように強烈なドライブ感で盛り上げていくタイプではなく、ビル・エバンスのようにイマジネーションをかき立てる感じでもない。オスカー・ピーターソンのように超絶技巧でぐいぐい引っ張っていく風でもないし、セロニアス・モンクのように強烈な自分の世界を持っているわけでもない。どちらかというと音数が少なく、地味で、普通で、聴きやすいピアノだ。こういう演奏をするピアニストはけっこういるような気がする。


 にもかかわらず、妙に癖になる。
 買ってしばらくは昼も夜も、繰り返しこのアルバムばかり聴いていた。熱狂的に気に入って、というより、なんとなく聴いてしまう。繰り返し聞いても愉しいし、飽きない。
 昆布と鰹節でとった上等なだし汁みたいだ。薄味で、ここが美味、と説明しにくいけれど、音と音の間から少し遅れてじんわりと滋養がしみ出してきて五臓六腑にしみ渡り、身体全体で旨いのである。


 このアルバム、旨いすまし汁にたとえるなら、アーマッド・ジャマルがだし汁の部分を担当し、実の部分、つまり「蛤のすまし汁」の蛤の部分は、ベースとドラムスのふたりといえるかもしれない。普通のピアノトリオより、3人の関係は正三角形に近く、ベースやドラムスのラインをおっかけていってもけっこう愉しい。
 
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2008年01月20日

ザ・ケルン・コンサート/キース・ジャレット


ザ・ケルン・コンサート
The Koln Concert

キース・ジャレット(p)

1975年録



 キース・ジャレットが人気がある理由がやっと腑に落ちた。
 なるほど、これはやられる。熱を出すひともいそうだ。

 
 ピアノ・ソロはよほどの名手でも何か足りない感じがすることがあるが、このアルバムにはそれはない。むしろ、ここに何かを足すほうが難しい。1台のピアノと10本の指だけで世界を描写し切ろうとする、その緊張感で全編を通して息もつかせない。弾き終わったとき、キース・ジャレットは何キロか痩せているんじゃないだろうか。 
 しかもとっても聴きやすい。たとえばビル・エバンスの一部のアルバムよりずっとポップだ。キース名物の例の奇声さえここではメロディアスで、ハミング、といっても通りそうだ。
 この音楽をジャズの正統な歴史に定位するのはおそらく無理で、ジャズの要素も含んだある種の音楽、としか言えない。クラシックやポップスのファンにもハマるひとがいるだろう。


 
 それにしても、これが即興演奏というのはあんまりだという気がする。もしそうなら、人間の精神的能力というものについて、ぼくらはもう一度考え直す必要がありそうだ。
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2008年01月17日

ソングバード/エヴァ・キャシディ


Songbird
Songbird

エヴァ・キャシディ(vo,g)


1992〜96年録音



 エヴァ・キャシディはアメリカの女性ボーカリストで、1996年に33歳で亡くなっている。生前にリリースしたアルバムはわずかに2枚。日本では無名に近く、ぼくも知らなかった。
 どこかでたまたまレコード評を読んで、それが妙に入れ込んでいたので気になってはいた。が、(冷たい言い方だが)悲劇のアーティストが実力以上に評価されるのはよくあることだから、それほど期待していたわけではなく、他のアルバムのついでに買ってみたのだった。


 そしたらこれが、本物だった。
 生ギター一本で、局地的に世界の色合いを変えてしまうような力を持った歌声だ。夜中に聴きだしたら、止まらなくなって困った。


 純粋だが、無垢という感じはしない。天性だが、磨き抜かれている。美しく、哀しい。ときどき天才肌の歌い手にあるような、息がそのまま歌になる、といったような気楽さはない。ソングバードとはよく言ったもので、生きることと歌うことがそのまま一致してしまうような、もっと宿命的で致命的な、避けがたい深みみたいなものが、このひとの歌には含まれている。
 ジャズ、ではないのかもしれないが、それはとりあえずどうでもいい。


 それにしても、これだけの歌い手が無名だなんて、とぼくはちょっと怖くなった。いくつかの偶然がなかったら、世界がエヴァ・キャシディを知ることはなかっただろう。それは率直にいって、不公平かつ間違ったことのようにぼくには思える。
 そしてより切実に怖いのは、いまこの瞬間にも、二人目、三人目の「生きているエヴァ・キャシディ」が、世界のどこかの片隅で歌っているのかもしれない、ということだ。
 どうしたら、彼女に出会うことができるのだろう?
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2008年01月14日

エラ&ルイ


エラ・アンド・ルイ
ELLA AND LOUIS

エラ・フィッツジェラルド(vo)
ルイ・アームストロング(vo,tp)
オスカー・ピーターソン(p)
ハーブ・エリス(g)
レイ・ブラウン(b)
バディ・リッチ(ds)

1956年録音



 エラ・フィッツジェラルドが大好き。ルイ・アームストロングはもう養子に入ってもいい。しかもオスカー・ピーターソンを初めとするバックがまた豪勢。どこを切っても好きな材料しか使っていないはずのこのアルバムが、ぼくは最初、苦手だった。


 エラと愉しそうにデュエットしているサッチモを聴いて、「あ、このひと、歌すげえ上手いんだ」と気づいてしまったのである。そんなことはあたりまえで、いまさら何をと言われるかもしれないが、ぼくはサッチモが歌うまい、という認識がなかったのだ。


 たとえば「ローマの休日」を観ていて、「オードリー・ヘプバーンって芝居うまいなあ」という感想を持つ観客がいるだろうか? 皆無とは言わないが、そういうひとはきっとあの映画は面白くなかっただろう。ローマの休日に出ていたのはオードリー・ヘプバーンという別の名前を持ったアン王女であって、そこに演技とか演出とかそういった無粋な技術論が介在する隙間はない。少なくとも観客の共同幻想の中ではそうでなければならなかったし、ヘプバーンを初めとした映画の作り手がそれを知っていたから、あの映画は伝説となったのだ。


 ぼくにとってルイ・アームストロングは同じレベルの伝説で、あの音楽は技術とか理論とかそういうものとは無縁のところから、まるで呼吸をするように自然にわき上がってくるものと思い込んでいたのだ。もちろんそんなわけはないし、そうではないことに気が付いてぼくが勝手にショックを受けただけで、このアルバムにはなんの責任もないのだが、それでもショックはショックだった。


 が、何回か聴いているうちに、これまたあたりまえだが、そんなことはどうでもよくなった。上手とか上手ではないとかいうのは、音楽の本質の前ではあまりたいしたことではないのかもしれない。
posted by kiwi at 21:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | ボーカル

2008年01月12日

バラード/ジョン・コルトレーン


バラード
Ballads

ジョン・コルトレーン(ts)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)


1961〜62年録音


 ここだけの話だが、コルトレーンが苦手だ。
 ジャズを聴くものとしては若干後ろめたい。


 本領を発揮しているときのコルトレーンは、正座して般若心経を聴いているような気分になってくるのである。たぶんそこには、宇宙の大真理が語られているのだ。理解すればきっといいことがあるのだ。
 が、宇宙の大真理が毎晩必要かというと、そういうわけでもない。
 宇宙の大真理の代わりに、「バラード」が必要な夜も多いのだ。


 「あのときはマウスピースを壊してしまっていつもの早さで演奏できなくなって、困り果てたあげくの産物なんだよ」とコルトレーンが自分で言っているらしいけれど、もしそれが照れ隠しじゃなくて本当なら、たまにマウスピースが壊れるのも悪いことではないんじゃないだろうか。
posted by kiwi at 23:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | サックス

2008年01月03日

リターン・トゥ・フォーエヴァー/チック・コリア


Return to Forever
return to forever

チック・コリア(p)
ジョー・ファレル(ss、fl)
フローラ・プリム(Vo)
スタンリー・クラーク(b)
アイアート・モレイラ(perc,ds)

1972年録音


 ひとが音楽を聴く理由はいろいろだが、ぼくにとって重要な理由のひとつが「スイッチを切ること」だ。仕事とか、身の回りの雑事とか、何日か後の約束とか、そういった昼の世界の残り火のようなものをうまく消火すること。ぼくはわりあいくよくよ考えるタイプなので、この作業はけっこう実利的に大切で、切実である。


 そういう理由で聴く音楽は、元気で陽気でテンションがあがるタイプではもちろんないけれど、柔らかくゆったりと沈んでいければいいというわけでもない。
 リラックスしたいわけではなくて(もちろんそれもあるけれど)、もう少し積極的で劇的な効果が必要なのだ。昼の世界から恣意的に何歩か離れるような、かるく異世界の扉を開くような。本を読むのに似た、そういう効果だ。物語性といってもいいかもしれない。


 「リターン・トゥ・フォーエヴァー」はぼくにとって、こういうややこしい要求仕様を満たしてくれるアルバムの一枚だ。むかし擦り切れるくらい聴いたのに、いまだに登場回数が減らない。ここぞというときに必要になる、常備薬みたいな存在だ。
 フローラ・プリムのコーラスをきっかけに、万華鏡をカチ割ったみたいに不思議なイメージが迸る。口をあけて眺めているのもよし、乗っかってどこかに行くのもよし。この音楽がたかだか5人の手で生み出されている、というのは信じられない気がする。
 

 ただし、同じようなシチュエーションで取り出すことが多いマイルス・デイビスの一部のアルバム(たとえばカインド・オブ・ブルー)みたいな鎮静・鎮痛効果はあまりない。かえって眠れなくなることがあるので、真夜中にはあまり聴かないようにしている。
posted by kiwi at 01:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2008年01月02日

スタンダード/ジミー・スミス


Standards
STANDERDS

ジミー・スミス(org)
ケニー・バレル(g)
ドナルド・ベイリー(ds)

1957〜59録音


 人間の身体というのはよくできていて、特定の栄養素が不足すると、自然とそれが豊富な食べ物が食べたくなるのだそうだ。育ち盛りでたんぱく質が必要なら肉類を、疲れて糖分が入用なら甘いものを、塩っけがいるときは塩っ辛いものを。酒を飲んだあとにラーメンが食いたくなるのも、きっとラーメンの何かを身体が欲しがっているのだろう。
 ぼくはときどき無性にオルガンのジャズを聴きたくなるが、これにも似たような理由があるのだろうか。オルガンには他の楽器にはあまり含まれない独特な栄養素が豊富で、ぼくはたまにそれが足りなくなる、といったような。


 オルガンのジャズが聴きたい、となるとジミー・スミスの出番だ。ほかの人もいくつか聴いてみたし、これからも聴くつもりだが、いまのところ禁断症状に一番「効く」のはやっぱりこの人なのだ。
 さらに、オルガン発作がでたときには賑やかな「ザ・キャット」じゃなくて、小編成のこのアルバムがあたりがありがたい。ジミー・スミスはパワープレイが身上だけれど、ここでは珍しくゆったり構えて、ニコニコじっくりと弾いている。そのうち暴れだすんじゃないかと、ちょっと気味が悪いくらいだ。もちろん暴れたりしないけれど。


 で、オルガンに豊富な独特な栄養素って何だ? という問題だけれど、いまのところあえて答えを見つける必要もないと思っている。別に困っているわけじゃないし。もしこのアルバムが効かなくなったら、新しい薬を探せばいい。それもまた、音楽を聴く楽しみのひとつなんじゃないだろうか。