2008年03月30日

アイ・シング・ザ・ボディ・エレクトリック/ウェザー・リポート


I Sing the Body Electric
I SING THE BODY ELECTRIC

ジョー・ザヴィヌル(kb)
ウェイン・ショーター(ts,ss)
ミロスラフ・ヴィトウス(b)
エリック・グラヴァット(ds)


1971〜72年録音


 なんでクリスタル・ボーイ(寺沢武一「コブラ」に出てくる悪役)がジャケットに出ているのだろう。ジョー・ザヴィヌルあたりがファンなのだろうか? と思ったのは今は昔の話だが(ちなみに「コブラ」の連載開始よりこのアルバムのほうが早い)、その宇宙的な、それでいてどこか泥臭くて暑苦しい不思議サウンドは今聴いても変だ。後半の数曲が日本でのライブ録音になっていて、「素晴らしい演奏に拍手を。」みたいなNHK的なアナウンスが入っていたりしてなんだかそれも妙だ。70年代初頭、聴いているみんなはチューリップハットやパンタロンなんだろうか思うとなおさら不思議だ。


 ちょっと後のジャコ・パストリアスを擁する時代を、ウェザー・リポートの全盛期と呼ぶ人が多いけれど(ぼくも実はそう思うけれど)、なんだか無茶なエネルギーに満ちたこのアルバムも、ぼくはけっこう好きだったりする。
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2008年03月23日

スタン・ゲッツ・プレイズ


スタン・ゲッツ・プレイズ+1
Stan Getz Plays

スタン・ゲッツ(ts)
デューク・ジョーダン(p)
ジミー・レイニー(g)
ビル・クロウ(b)
フランク・イソーラ(ds)

1952年録音


 「アマデウス」という映画の中で、モーツァルトの書いた楽譜を調べているライバルの宮廷音楽家サリエリが、とんでもないことに気が付くシーンがある。モーツァルトの楽譜には、書き直しや修正の痕がひとつもないのだ。つまりその音楽は、モーツァルトのおつむの中から取り出されたときにはすでに完成しており、推敲や試行錯誤を必要としないのである。
 サリエリは戦慄する。

 この逸話が本当なのか、それとも演出なのか、ぼくは知らない。が、映画の中のサリエリの気持ちは分かる気がする。ぼくもスタン・ゲッツを何の気なしに聴いていて、ふと、鳥肌が立つことがあるからだ。
 これ、本当にアドリブ? 
 このメロディがその場で瞬時に紡がれているの?
 
 モーツァルトの音楽がいまも世界中で聴かれているのは、(本当かどうかはともかく)彼が楽譜の修正を必要としない天才だったから、ではもちろんない。聴き手に届くのは音楽そのものでしかなく、それがどういう過程で作られたのかはほとんど意味がない。
 同じように、スタン・ゲッツの音楽が、アドリブで生み出されたものだからこそ価値がある、とはぼくは思わない。同じ音楽がもし試行錯誤と研鑽を経て精密に組み立てられたとしても、ぼくは同じように感動するだろう。

 にも関わらず。
 ぼくはスタン・ゲッツを聴くたびに落ち着かない気持ちになる。そこにはぼくの理解が及ばない、奇妙で不思議で謎めいた何かが隠されているようなのだ。スタン・ゲッツの音色が温かく、メロディが聴きやすいから、なおさら気になる。不安といってもいいかもしれない。
 ちょうど隣の席の気さくでちょっと可愛らしい同級生の女の子が、実はアルファ・ケンタウリの生まれなんだ、と聞いたときみたいに。

 ぼくがこのアルバムを繰り返して聴くのは、たぶんその不安のせいなのだと思う。
posted by kiwi at 23:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | サックス

2008年03月20日

2 3 4/シェリー・マン


2-3-4 (紙ジャケット仕様)
234

シェリー・マン(ds)
コールマン・ホーキンス(ts)
ハンク・ジョーンズ(p)
エディ・コスタ(vib,p)
ジョージ・デュヴィヴィエ(b)

1962年録音


 「2」はテナーサックスとドラムスのデュオ、「3」はピアノ・トリオ。「4」はそれにテナーが加わったカルテット。曲目によって編成の変わる風変わりなアルバムだ。フル出演はシェリー・マンだけで、しかもピアニストが入れ替わったり、楽器の持ち替え(エディ・コスタはピアノとヴァイブの二刀流)があったりするので、一曲ごとに印象ががらりと違う。
 一見、まとまりがつかなくなりそうな演奏をシェリー・マンが職人芸でピシリと粋にまとめた野心作、とでも言えそうだが、実は「4」や「3」はともかく、テナーとドラムスのみという変わった構成の「2」が録音されたのは、


 ほかの人が帰っちゃったから。


 らしい。午前3時過ぎにハンク・ジョーンズとジョージ・デュヴィヴィエが眠いからと帰ってしまい、残されたシェリー・マンとコールマン・ホーキンスがもうちょっとやろうぜ、とその場の勢いで録音したのが「2」である。往生際の悪い酔っぱらいかあんたら。しかも酔っぱらいのやることだから、コールマン・ホーキンスが変なピアノを弾いている。一度弾いてみたかったらしい。
 野心作というより、いいかげんなだけでは?


 で、ぼくは思うのだが、「いいかげん」はジャズの真髄なのではないだろうか。「その場の勢い」って言うけれど、アドリブって「その場の勢い」以外の何物でもない。その意味では、このアルバムはアルバムそのものがアドリブなのだ、とも言える。らしいといえばこれ以上ジャズらしいアルバムもない。
 何ヶ月もかけて1枚のアルバムを吹き込む他のジャンルのミュージシャンのことを考えると申し訳ない気もするけれど、ぼくのせいじゃないからいいや。

2008年03月15日

ストレート・アヘッド/カウント・ベイシー


ストレート・アヘッド
BASIE STRAIGHT AHEAD

カウント・ベイシー楽団

1968年録音


 以前テレビを見ていたら、西田敏行がオーケストラの真ん中に座って演奏を聴きたい、と言っているのを実現させる、という企画があった。曲は確かラヴェルのボレロだったと思うが、感動した西田敏行がボロボロ泣いているのを見て、いいなあ、と思ったのだ。
 あれ、ぼくもやってみたい。

 で、ぼくの場合はビックバンドの真ん中に座って聴きたい。特に、カウント・ベイシー楽団の真ん中に座って聴けたら、もう言うことはない。
 デューク・エリントンやベニー・グッドマンじゃイヤだ、なんて贅沢を言うつもりはさらさらないが、とりわけカウント・ベイシーなら圧巻だろう、と思うのだ。あの音の瀑布の内側に入ってももみくちゃにされてみたい。ビキニの美女軍団にもみくちゃにされるくらい楽しいだろうと思うのだ。ビキニの美女軍団にもみくちゃにされたことはないけれど。


 そうだ、ぼくがいつか大金持ちになったら、カウント・ベイシー楽団の真ん中でもみくちゃにされるのと、ビキニの美女軍団の真ん中でもみくちゃにされるのと、どっちが楽しいか試してみよう。

 人生には目的が必要である。
posted by kiwi at 18:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | ビックバンド

2008年03月15日

モントルー・アレキサンダー・ライブ/モンティ・アレキサンダー


Montreux Alexander
Montreux Alexander Live!

モンティ・アレキサンダー(p)
ジョン・クレイトン(b)
ジェフ・ハミルトン(ds)

1976年録音


 ジャズを聴き始めた頃、右も左もわからず仲間もおらず、ジャズ喫茶なんか怖くて入れないので、頼りはガイドブックだった。図書館で見つけた岩浪洋三の「モダン・ジャズの名演名盤」のピアノの章で、一番最初に紹介されていたのがモンティ・アレキサンダーだった。
 初心者がまず聴くべきピアニストとしてモンティ・アレキサンダーが選ばれたわけではなくて、名前順に過ぎないのだけれど、最初に覚えたジャズ・ピアニストの名前がセロニアス・モンクやキース・ジャレットではなく、モンティ・アレキサンダーだったということは、結果からいえばラッキーだったと思う。
 物事には順番というものがあるのだ。

 ど派手でゴージャズで陽光燦々の突っ走りピアノを弾くひとだが、このアルバムはその中でもひときわ底抜けで、落ち込んだときなんかに聴くとかえって逆効果かもしれない。ライブ録音だが、歓声はもちろん手拍子が入ったりして、モダン・ジャズのコンサートっぽくない。今ではロマンスグレイの素敵なおじさま風のモンティ・アレキサンダーも当時は、もじゃもじゃ頭にヒゲ面で胸元をはだけ、えらく濃い。


 が、この人の一番の持ち味は、実はバラードなんじゃないかとぼくは思う。このアルバムでも2曲目に「フィーリングス」が入っているが、抑え気味に始まる導入部から、時々川底の砂金が陽の差し加減できらり、と光るようなきらめきをあちこちにちりばめつつ、ぐおっ、と盛り上げるように見せてするりと身をかわし、という変幻自在のメリハリを見せてくれる。このくっきりとしたコントラストがあってこそ、ど派手なテーマも盛り上がるのだ。

 何事もメリハリが大切。
posted by kiwi at 14:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2008年03月05日

ア・デイ・イン・ザ・ライフ/ウェス・モンゴメリー


ア・デイ・イン・ザ・ライフ
A DAY IN THE LIFE

ウェス・モンゴメリー(g)
ハービー・ハンコック(p)
ロン・カーター(b)
グラディ・テイト(ds)


1967年録音



 ウェス・モンゴメリーはもともとよく歌う聴きやすいギターを弾く人だが、その音楽キャリアの後半戦ではイージー・リスニング路線のアルバムをたくさん出すようになり、それでジャズの枠をはみ出して人気に火がついたらしい。このアルバムはそのころのもので、ストリングスやハープも入った贅沢な編成だ。曲目にはビートルズも入っていたりする。

 こういうパターンでは何を言われるか聴く前からだいたい決まっている。ダラクだ、商業路線だ、もうジャズじゃない、ギラギラしたアドリブをやっていた若い頃が、云々。
 実はぼくもそう思っていた。ちょっと前のアルバムに比べると、額縁にちんまりと収まりきってつまらない。迫力という点では、スキューバダイビングで珊瑚礁の魚を見に行くのと、熱帯魚水槽を眺めているのくらいの差がある、そう思っていた。

 ところが何度も聴いているうちに、ちょっと感じが変わってきた。

 確かに以前に比べると音数も少ないし、熱や風圧はあまり感じない。自由奔放ともいえない。が、その代わりに、一音一音の密度はむしろ高まっているような気がする。整理され、方向を整えられた結晶みたいに。抑えたストリングスもギターを邪魔していない。甘い感じはもちろんするけれど、噛みごたえはしっかりしているのである。この感じ、どこかで・・・と思っていたら、MJQと雰囲気が似ているのだった。

 今ではすっかり愛聴盤だったりする。

 意外だったのは、ピアノがハービー・ハンコック。ちょっとびっくり。
posted by kiwi at 20:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | ギター・ベース

2008年03月04日

アニタ・シングス・ザ・モスト/アニタ・オデイ


Anita Sings the Most
ANITA SINGS THE MOST

アニタ・オデイ(vo)
オスカー・ピーターソン(p)
ハーブ・エリス(g)
レイ・ブラウン(b)


1956年録音



 アネゴ肌である。ぼくはこの人の歌を聴くたびに、立て膝の姐さんが火鉢にしどけなく寄りかかりって、へまをした手下の頭を手を伸ばして長キセルでひっぱたく、という妙なイメージが浮かんで消えない。サラ・ヴォーンやエラおばさんみたいな大出力、高排気量でぐいぐい迫ってくるタイプではなく、ヘレン・ミレルやブロッサム・ディアリーみたいな色気や可愛げもあまり見当たらない。

 そこがアニタ・オデイの魅力なんだろうと思う。その歌には媚も思わせぶりも謎めいたところもない。白昼の中に生の「歌」を放り出して、気に入ったら持って行きな、これがアタシだよ、みたいな思い切りの良さ。

 粋だねえ、姐さん。
posted by kiwi at 00:42 | Comment(2) | TrackBack(0) | ボーカル