2008年05月26日

ガイズ・アンド・ドールズ・ライク・ヴァイブス/エディ・コスタ


ガイズ・アンド・ドールズ・ライク・ヴァイブス(紙ジャケット仕様)
Guys And Dolls Like Vibes

エディ・コスタ(vib)
ビル・エバンス(p)
ウェンデル・マーシャル(b)
ポール・モチアン(ds)

1958年


 長くジャズを聴いていると、メジャーとはいえないけれど気になるアーティストができるものだ。映画ファンにひいきの脇役ができるのに似ている。ぼくにとってはエディ・コスタがそういうひとだ。
 エディ・コスタという名前を知らないひとは、ジャズ・ファンでも珍しくはないだろう。ピアノとヴァイブの両刀使いで、将来を嘱望されながら交通事故で31歳で亡くなった。脇役としての活躍が主で、リーダーアルバムは数えるほどしかない。
 いままで紹介したアルバムでは「タル」、シェリー・マンの「2 3 4」で妙に存在感のある脇役ぶりを発揮している。が、圧巻はやはり、「ハウス・オブ・ブルーライツ」だろう。ピアニストとして唯一のリーダー作で、一度聴いたら忘れない、不思議な雰囲気のあるアルバムだ。
 もし長生きしていたら、その後どんな音楽を創り出しただろうと思うと、なんだか悔しい。たぶん本人も悔しかっただろう。


 早世したが、優秀なスタジオ・ミュージシャンとして重宝がられ、参加したアルバムの数はけっこう多い。本人も、家族のために稼がなくちゃならないんだ、としゃかりきに仕事をしたらしい。ぼくはそういうのをおりにふれて探し出しては聴いてみる。あまり印象に残らないのもあるけれど、ああ、エディ・コスタだ、と思うのもある。ぼくはひょっとしたら、彼の遺した音楽から、「ハウス・オブ・ブルーライツ」の先を想像しようとしているのかもしれない。意味があることとは思わないけれど、誰に迷惑をかけるわけでもないから、まあいいか。


 このアルバムはヴァイブのほうのリーダー作だ。エディ・コスタの個性はピアノのほうで強く出るようで、ヴァイブは淡々と抑え気味、小気味よくスイングしているが、小さくまとまっている感じは否めない。ヴァイブのほうでも「ハウス・オブ・ブルーライツ」みたいにやりたい放題やったらどんなだったろう。聴いてみたかった。
 実はこのアルバムで気になったのはピアノだった。ヴァイブ同様抑え気味ですましているけれど、時々ちらりと見知らぬ顔を見せるようなところがあって、どこか不穏な感じがする。最初はエディ・コスタがピアノも弾いているのかな、と思ったが、いくらなんでもそれは無理だ。で、参加者をもう一度調べたら(このアルバムはiTunesで買ったのでライナーノートなどがないのだ)、ビル・エバンスだった。

 ビル・エバンスって、あのビル・エバンスだよな?
posted by kiwi at 00:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | ヴァイブ

2008年05月25日

あなたと夜と音楽と/フィル・ウッズ


あなたと夜と音楽と(紙ジャケット仕様)
You And The Night And The Music

フィル・ウッズ(as)
ブライアン・リンチ(tp)
ジム・マクリーニ(p)
スティーブ・ギルモア(b)
ビル・グッドウィン(ds)

1993年録音


 フィル・ウッズは50年代から活躍するベテランで、このアルバムを吹き込んだときには60歳をすぎている。この年になると普通は円熟の極みとか枯淡の境地とかに達するのではないかと思うが、このじーさまに率いられたクインテットはそんな優雅な代物ではない。現役ばりばりの戦闘部隊として最前線で暴れまくる。古参軍曹フィル・ウッズと、25歳くらい年下のブライアン・リンチ(ジャズ・メッセンジャーズの最後のラッパ吹きだそうだ)が肩を並べて吹きまくるフロント・ラインは、シャープかつ豊饒で爆竹の束が立て続けにはじけ飛ぶように気色良い。フィル・ウッズの年を知らなければ、若くて元気でよろしい、と書いただろう。つまりは若くて元気でよろしいアルバムなのだ。


 曲目はどれも映画音楽のスタンダードで耳に親しく、フィル・ウッズの伸びまくるアルトと相まって、聴き易すぎるくらい聴き易い。ドライブしながらなどBGMとしても楽しいが、ここはあえてコルトレーンやモンクでも聴くつもりで、瞑目かつ腕組みでもしつつ、沈思黙考しながら集中して聴く、という聴き方をオススメしたい。このアルバムの本当の愉しさに気づくはずだ。ぼくはそうだった。
posted by kiwi at 11:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | サックス

2008年05月25日

トリオ&クインテット/デューク・ジョーダン


トリオ&クインテット
Trio And Quintet

デューク・ジョーダン(p)
パーシー・ヒース(b)
アート・ブレイキー(ds)
エディ・バート(tp)
セシル・ペイネ(bs)

1955年録音


 新しい記事を書いていないのに、このサイトのRSSが更新されていた。しかもエアコンがどうしたとかいう宣伝のようだ。調べたら先日からSeesaaブログのRSSに宣伝が入るようになったらしい。
 利用者から料金を取らない無償のブログサービスは、広告で儲けるしかない。ぼくも大人だからそれはわかっているけれど、RSSの広告はたいへん鬱陶しい。そもそもサイトの更新をチェックするためのものなのに、RSSだけ更新されるようになったら無意味だ。このサイトのRSSを使っているひとも(もしいたら)そう思うだろう。


 やれやれまた引っ越しか、と暗い気持ちで一応調べていたら、この機能があっさりOFFにできることがわかった。嬉しかったが、こういう無償サイトの広告挿入機能は切れないのが普通なので(それが無償で使う条件になっていることが多いので)ちょっと意外だった。で、説明を読んでみたら、この広告は効果が上がるとブログの書き手(つまりぼくだ)にも報酬が入る、と書いてあった。だから使ってね、というわけだ。選択肢があるのはありがたい。もうしばらくSeesaaにいよう。


 ぼくは金は大好きだが、ブログで金儲けをするつもりだったらジャズのことなんか書かない。奇跡のダイエットとか、必ず儲かるサイドビジネスとか、アイドルのポロリとか、より集客が期待できるビジネスライクな話題を取り上げるだろう。
 もちろん、このブログがおもしろいからわけもなく1億円ほどあげよう、という方がいたら拒否するつもりはない。画像はAmazonのアフィリエイトの機能で表示しているので、アルバムを数十億円分購入してもらっても同様の効果があるはずだ。金の使い道に困っている方はぜひご検討ください。


 ジャズという音楽は、一般的にはあまり儲からない気がする。ポップスやロックのスターが豪邸を建てたとか、島ひとつ買ったとかいう話はときどき聞くが、ジャズのスターは麻薬のやりすぎで療養所に入ったとか、泥酔してケンカして死んでしまったとか、そういう話のほうが多い。あのひとが、と思うようなビッグ・ネームが、つましいアパート暮らしをしていたという話もよく聞く。

 デューク・ジョーダンもタクシーの運転手をして食いつないでいた時期があるらしい。ぼくはこのひとの演奏を聴くたびに思うのだが、同じデューク・ジョーダンを小一時間独占できるのなら、タクシーで家に送ってもらうより、目の前でピアノを弾いてもらうほうを選ぶ。超選ぶ。
 みんながみんなそう思ったら、デューク・ジョーダンはハンドルではなくて鍵盤を前にする時間がもっとあっただろう。 
 そしてもっとたくさんアルバムを録音したかもしれない。


 音楽なんて個人的な趣味なんだからみんな好きな音楽を聴けばいいに決まっているが、こういう話を聞くと、もう少しジャズを聴くひとが増えてもいいかもな、と思う。
posted by kiwi at 00:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2008年05月22日

スケッチ・オブ・スペイン/マイルス・デイビス


スケッチ・オブ・スペイン
Sketches of Spain

マイルス・デイビス(tp,flh)
ギル・エバンス(アレンジ)
ポール・チェンバース(b)
ジミー・コブ(ds)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)


1959年録音



 ぼくには絵画を鑑賞する能力がない。きれいな絵だな、とか、不気味だな、といった印象は受けるけれど、それは夕暮れの湖がきれいだとか、廃墟になった夜の病院跡が気色悪いとかいったレベルの話でしかなく、それ以上、絵画というものをどう愉しんだらよいのかよくわからないのだ。ダリやエッシャーの変な絵は好きだが、変なものが好きなだけであってたぶん鑑賞とはほど遠い。美術館などで同じ絵をずいぶん長く飽きもせず眺めているひとがいるが、ああいう人はどこを見ているのだろう、と思う。絵の好きな妻に説明させようとしても、うまく説明できないようで、だからぼくもよくわからない。
 ああいうのはたぶん、一種の才能なのだろう。


 だが、このアルバムを聴いたときに、ふと思った。
 あ。絵画を鑑賞する、というのはひょっとしたらこんな気分なのだろうか?


 ふと思っただけで、根拠はない。
 が、つきつめれば音の並びと長さと強弱でしかない、ごく限られた表現手段である音楽を媒体に、風景と香りと温度と動きのある、小さいながら一つの世界を描き出してみせるというプロセスと、それが目の前で展開される驚きは、ひょっとしたら絵画でも同じなのかもしれないと思いついたのだ。
 つまり、スピーカーの前で口をあけてあきれているぼくと、名画を前にして呆然としている観客は、同じ驚きを味わっているのかも知れない。


 そういえば、マイルス・デイビスは絵を描くひとらしい。自伝か何かで読んだことがある。たぶんこのアルバムは彼にとってひとつの絵画で、その構図を決めたのはギル・エバンスなのだ。
 ジャズを聴くようになって、一番驚いたのはこのアルバムかもしれない。
posted by kiwi at 23:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | ラッパ

2008年05月18日

枯葉/サラ・ヴォーン


Crazy and Mixed Up
Crazy and Mixed Up

サラ・ヴォーン(vo)
ジョー・パス(g)
ローランド・ハナ(p)
アンディ・シンプキンス(b)
ハロルド・ジョーンズ(ds)

1982年録音


 同じ速度で走っていても、排気量の大きい車と小さい車では、スピード感がずいぶん違う。軽トラックで高速道路を走るとスリル満点だが、大型の乗用車で走ると同じ時速80kmでもなんだかずいぶんゆっくり走っているな、という感じがする。ぼくは車には詳しくないので、ほかにも理由があるのかもしれないが、エンジンのパワーは大きな要因の一つなのだろう。ぎりぎり一杯でしゃかりきに回っているのか、それともまだまだ余裕たっぷりで鼻歌交じりなのか、でずいぶん感じが違うのだ。
 

 サラ・ヴォーンを聴くとぼくはいつも、この話を思い出す。サラ・ヴォーンの悠々とスケールの大きい音楽は、底知れぬ高出力、大排気量の音楽エンジンが、限界値よりかなり下でゆったりと回っているために生み出されるのではないだろうか。もちろんそれは、サラ・ヴォーンが手抜きをしている、という意味ではない。どんなエンジン、どんな車にも、一番心地の良いスピードというものがあって、きっとサラ・ヴォーンはそれをよく知っているのだ。しかも他のエンジンがレッドゾーンまで振り切ってようやく生み出せるスピードを、余裕で実現してしまう。人生は不公平だ。


 高出力の大型車は小回りが効かないことがよくあるけれど、サラ・ヴォーンはそれもない。というより、旋回半径の小ささや小技も天下一品で、これはもう、本当に手がつけられない。しかもこのアルバムではジョー・パスやローランド・ハナといったサポートメンバーがまた絶品で、サラに負けてない。


 このアルバムが1500円か。そりゃ安いのは嬉しいけれど、文句を言う筋合いなんかどこにもありゃしないけれど、・・・バチ当たらないだろうな。
posted by kiwi at 16:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | ボーカル

2008年05月12日

アフリカン・ピアノ/ダラー・ブランド


アフリカン・ピアノ
African Piano

ダラー・ブランド(p)

1969年録音



 あなたの前にはピアノが一台。これを使って、「アフリカ」を表現しなければなりません。さて、あなたならどうするか。

 という大喜利みたいな出題があったわけではもちろんないと思うが、ダラー・ブランドがピアノ1台のソロ演奏で描き出して見せるのは、本当にアフリカ、その茫漠とした広さであり、突然天を裂く雷鳴であり、吹き渡る風の音であり、砂塵を巻いて駈け過ぎるヌーの群れであり・・・レトリックではなくて、本当にアフリカの風景が見えるような気がする。聴いてみれば、音楽ってこういうことができるんだ、と、ちょっとしたショックを受けるだろう(ぼくはショックを受けた)。ライブ録音なのだけれど、最初はぼそぼそ話をしていた聴衆が途中からすっかり静まりかえってしまう。
 
 共感覚、という不思議な現象がある。たとえば音階に色を感じたり、特定の形に味を感じたりする、五感に不思議な混線を生じることをいうのだけれど、ぼくはこのアルバムを聴いて、その気分が少しわかったような気になった。

 音楽が見える。
 
posted by kiwi at 23:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2008年05月11日

ウィンター・ムーン/アート・ペッパー


Winter Moon
Winter Moon

アート・ペッパー(as)
スタンリー・コーウェル(p)
ハワード・ロバーツ(g)
セシル・マクビー(b)
カール・バネット(ds)


1980年録音


 ぼくは子どものころ、みんながスイカに塩を振りかけるのが納得いかなかった。甘みがスイカの身上なのに、なぜわざわざそれを打ち消すようなことをするのだろう。スイカに失礼ではないか。
 スイカに塩をかけて食べるようになったのは、もう少しあとのこと。ひとを好きになり、別れ、スイカも人生も、甘いだけが味わいではない、ということに気づくくらい、大人になってからのことだった。
 ウソだけど。


 いずれにしても、「酸いも甘いもかみ分けた」という言葉があるくらいだから、相反する要素が食べ物や人生に奥行きを持たせるのは確かなようで、だったら音楽だって同じに違いない。アート・ペッパーの乾いたアルトに、水気たっぷりのストリングスというのは、スイカに塩以上に、隠し味を引き出す絶妙の組み合わせだった。よい音楽を聴いていると情景が浮かんでくることがあるけれど、このアルバムを聴いていて浮かんできたのは、どこかの大都会の人気のない街角に、凍えるように冴えわたる月明かりに照らされて、コートの襟を立てて立ちつくす初老の男、という、どこかで見た映画の一シーンみたいな風景だった。


 彼は誰を待っているのだろう? 
 どこに行こうとしているのだろう?



 このアルバムは、pororompaさんのブログで知った。どうもありがとうございました。
posted by kiwi at 21:32 | Comment(0) | TrackBack(1) | サックス

2008年05月01日

パリ北駅着、印象/ケニー・ドリュー


パリ北駅着、印象
Impressions

ケニー・ドリュー(p)
ニールス・ペデルセン(b)
アルビン・クイーン(ds)

1988年録音


 ひとの才能を引き出す、というのは不思議な作業だ。

 1960年録音の「アンダーカレント」なんか聴くと、ごつごつしたフロントラインのホーンを黒っぽくガンコに支えているのがケニー・ドリューで、同じピアニストとは思えない。どっちかというとガテン系の、それもいぶし銀の脇役という雰囲気のあるこのピアニストが、30年後にどういうきっかけでこういうエレガントなアルバムを吹き込むことになるのか、ひと晩かけてじっくり訊いてみたい。きっと下手な小説より面白いだろうと思う。そして、みんなに、「華やかで繊細でスピード感のある、花吹雪みたいなピアノを弾く人」と思われていることについても感想を聞いてみたい。なんか照れたような複雑な笑みを浮かべて曖昧に頭を振って、バーテンに「もう一杯」とグラスを挙げてみせるような気がしてならないのだけど。


 といっても実のところ、このアルバムを初めて聴いたときにビックリしたのはケニー・ドリューのピアノではなくて、ニールス・ペテルゼンの朗々と謳うベースのほうだった。わりあい頻繁に表に出てメロディを奏でるが、それがまるでギターでもつま弾いているみたいに、易々と楽々と悠々と音が出てくる。ベースが主役のつもりで聴いてみても楽しい。
 惜しい事に早くに亡くなったが、この人もまた名手だった。
posted by kiwi at 23:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ