2008年06月28日

フレンズ/チック・コリア


フレンズ
Friends

チック・コリア(p)
ジョー・ファレル(Reeds,fl)
エディ・ゴメス(b)
スティーブ・ガッド(ds)

1978年録音


 青筋立てた全力スマッシュ、ではなくて、ぽこんと合わせたら入っちゃった、という感じ。いや、むしろ7割の力で、観客といっしょにラリーを楽しんでいるという風情。映画でも小説でも音楽でも、ときおりこういう、力がいい感じで抜けた佳作があって、ぼくは大傑作よりむしろそういうのが好きかもしれない。そういうタイプの作品は不思議と飽きないのも嬉しい。
 今夜みたいに風の通る静かな夜に、庭の梅を砂糖で漬けたのをぽりぽり囓りながら聴いていると、なかなかいい感じだ。

 ところがヘッドホンをして大きな音で聴いていると、このアルバムのもう一つの側面が見えてくる。実は4人が4人、ツボにはまった手練れの至芸を見せていて、特にドラムが凄い。それが全体としてはしれっとリラックスして聴こえるのはある意味不思議なことだ。誰か一人が突出しない、バランスの良さがそう見せているのかも知れない。
 音楽も「着やせ」するんだろうか?
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2008年06月22日

ウォーキン&トーキン/ベニー・グリーン


ウォーキン・アンド・トーキン
Walkin' & Talkin'

ベニー・グリーン(tb)
エディ・ウィリアムス(ts)
ギルド・マホネス(p)
ジョージ・タッカー(p)
アル・ドリアーズ(ds)

1959年録音


 最近頻繁に聴いている1枚。これはみんな笑いながら演奏しているに違いない。しかもニコニコとかうふふとかそういう品のよい感じではない。ニヤニヤ、ニタニタである。

 ベニー・グリーンという人は、ステージ上をのそのそ歩き回ってぶつぶつしゃべったりするのでウォーキン・トーキンというあだ名がついたという話だから、このアルバムのニヤニヤ感はきっと彼の人柄から出てくるものなのだ。そんなんでいいんかいな、という意見もあろうかと思うが、いいじゃないか。楽しそうで。
 音「楽」なんだから。
posted by kiwi at 11:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | ラッパ

2008年06月22日

ザ・ビル・エバンス・アルバム/ビル・エバンス


Bill Evans Album
The Bill Evans Album

ビル・エバンス(p)
エディ・ゴメス(b)
マーティ・モレル(ds)

1971年録音


 このアルバムは現在流通していないらしく、新品はどのサイトでも売り切れだし、オンライン販売でも見つからない。結局中古で手に入れたが、多少割高についた。まあ、しょうがないけど。

 ぼくはずいぶん昔、LP時代にはじめてこのアルバムを聴いたのだが、こだわったのには理由がある。ビル・エバンスがいつものアコースティックピアノのほかに、珍しくエレクトリックピアノを弾いているのだけれど、これがちょっと妙な味があるのだ。
 エレキのくせに、アコースティックより地味なのだ。エレキのほうがずっとシンプルで、表情に乏しく、おとなしい。エレキからアコースティックに持ちかえると、ぱっと視界が広がる感じがする。ちょうどうっそうとした木の茂った山道を登っていって、角を曲がったら展望台だった、というように。
 エバンスだからそうなのか、それともエレキピアノは本来そういうものなのかはよくわからないけれど。


 ところがぼくは、このエレキピアノがけっこう好きなのだ。ストイックで、哀愁があり、口数の少ない男の翳りみたいなものすら感じる。展望台みたいに眺めのいいところばかり歩くのも楽しいだろうが、林間の苔むした細い木道を辿るのも味がある。
 もともとビル・エバンスは寡黙な印象を与えるピアニストだけれど、エレキピアノを弾かせるともっと静かになる。静けさを味わうピアノというのもたまにはいい。
 かわりにエディ・ゴメスがしゃべりすぎという感じがしないでもないが。
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2008年06月08日

サッチモ・シングス・ディズニー/ルイ・アームストロング


サッチモ・シングス・ディズニー(デジタル・リマスター盤)
Disney Songs The Satchimo Way

ルイ・アームストロング(vo,tp)


1968年録音


 ルイ・アームストロングの音楽には、ひとの好意とか世界のすばらしさを無条件に肯定してしまうような説得力と、大人も子どもも関係のない共通の言葉が含まれていて、それはどこかでディズニーのおとぎ話の世界と似ている。
 それにしても、ルイ・アームストロングの音楽がディズニーにこんなにぴったりはまるとは、当人たちも想像していなかったのではないだろうか。ぼくはここで取り上げられたディズニー映画のかなりを観ているけれど、いまその一場面を思い出そうとすると、そこにはオリジナルのサウンド・トラックではなくて、このアルバムのルイ・アームストロングの音楽が流れている。映画を見直したときに違和感があるんじゃないかと心配になるくらいだ。
 

 もちろん、20世紀初めのアメリカに黒人として生まれたルイ・アームストロングの見た世界がおとぎ話のようにきれいなものばかりであったはずはない。その中から最上のものを汲み上げて、世界に向かって景気よくばらまいたルイの音楽こそが、現代のおとぎ話、魔法なのだ。
 このアルバムではルイがディズニーの音楽を演奏しているが、ぼくはいつかディズニーがルイを映画にすべきだと思っている。ディズニーのテーマが変わらず「夢と魔法」であるのなら、この血も肉もある魔法を取り上げない手はないだろう。

 アニメ向きの顔だし。
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2008年06月03日

ボーン&バリ/カーティス・フラー


ボーン&バリ
Bone & Bari

カーティス・フラー(tb)
テイト・ヒューストン(bs)
ソニー・クラーク(p)
ポール・チェンバース(b)
アート・テイラー(ds)

1957年録音



 おおざっぱな音楽を聴きたくなることがある。


 昼の生活で、おおぜい狭いところに押し込まれて、押し合いへし合いしながら互いにぎちぎち削りあうような思いをしたあとなんか、特にそうだ。そういうときに精緻で緊張感のある音楽なんて、とても聴く気にならない。


 ではおおざっぱな音楽というのはどんなのだろう?
 ぼくはこういうときにトロンボーンを思い出す。もくもくした低音は丸みがあって、スキマにきりきりと入り込むような鋭さとは無縁だ。あの伸びたり縮んだりするへんな棒がいい。あれで音階を決めているなんて、目盛のない定規でものを計るようなものだ。鍵盤を叩けばいつも正確に同じ音が出るピアノなんかと比べるとずいぶんおおざっぱ、かつ、おおらかではないか。だいたいトロンボーンという名前がいい。とろんとぼーんだ。ぜんぜんとんがっていない。


 トロンボーンがみなおおらかかどうかはともかく、カーティス・フラーのトロンボーンはどこかすっとぼけていて、人肌に温かい。「ブルースエット」もそうだったが、沈んだマイナー調の曲をやっていても、しわくちゃ顔のブルドックが考え込んでいるみたいにどこかこっけいで、息が漏れているようなところがある。逆にテンポの速いファンキーな演奏をしていても、やっぱりどこかに(いい意味での)隙がある。
 ひとがうーん、とのびをするタイミングみたいなものを、カーティス・フラーのトロンボーンは与えてくれるのだ。
 

 こんな具合に行きたいね。
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2008年06月01日

ブラウニー〜クリフォード・ブラウンに捧げる/ヘレン・メリル


ブラウニー~クリフォード・ブラウンに捧げる
Brownie: Homage to Clifford Brown

ヘレン・メリル(vo)
ケニー・バロン(p)
ルー・ソロフ(tp)
ロイ・ハーブローグ(tp)
トム・ハレル(tp)
ウォレス・ルーニー(tp)
ルーファス・リード(b)
ビクター・ルイス(ds)
トリー・ジトー(kb)

1994年録音

 
 人生には時々、魔法のような瞬間が訪れる。あとで考えると、あのときどうしてあんなことが可能だったのか、自分でもよくわからない。そのときに生み出されたエネルギーと創造性がどこからきたのかよくわからない、そういった瞬間だ。

 
 ヘレン・メリルは芸歴の長いひとだけれど、彼女の魔法の瞬間は1954年に訪れた。当時20代前半だった彼女はこの年、「ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン」というアルバムを録音した。ぼくはジャズを聴き始めた直後にこのアルバムと出会ったのだけれど、そのとき受けたショックは今でも尾を引く微熱のようにぼくの中に残っている。クリフォード・ブラウンとクインシー・ジョーンズが力を貸しているのは間違いないとしても、この古いアルバムに封じ込まれた音楽は、確かに魔法のたぐいだった。
 そして、それが魔法だったからこそ、ヘレン・メリルはその後、このアルバムを越えることができなかったんじゃないだろうか。


 実はぼくはあの魔法を期待して、ヘレン・メリルのアルバムを結構買ったのだが、残念ながら二枚目には出会わなかった。ヘレンはいつでも自由に魔法を使える、魔法使いではなかったのだ。
 だが、それはそれとして、ぼくは今でもヘレン・メリルが好きだし、「ウィズ・クリフォード・ブラウン」以外のアルバムも頻繁に聴く。それはある種のタイミング、ある種の気分のときにはぴったりはまり、他の音楽では代わりができないのだ。これは音楽にとって大切なことじゃないだろうか? ヘレン・メリルは魔法使いではないかも知れないが、一人の生身のアーティストとして、ぼくの中では結局大切なひとなのである。


 このアルバムはクリフォード・ブラウンに捧げられている。それはもちろんその通りなのだろうけれど、こんなふうに考えることもできるんじゃないだろうか。これは生身のヘレンが、40年前の魔法のヘレンに贈った、トリビュート・アルバムでもあるのだ。
posted by kiwi at 23:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | ボーカル