2008年07月25日

サムシン・エルス/キャノンボール・アダレイ


Somethin' Else
Somethin' Else

キャノンボール・アダレイ(as)
マイルス・デイビス(tp)
ハンク・ジョーンズ(p)
サム・ジョーンズ(b)
アート・ブレイキー(ds)

1958年録音


 むちゃくちゃ暑い。空気が煮詰まって半透明のスープになりそうだ。ヘタにアスファルトの上になんか出ていけない。横断歩道を渡る間にミディアムレアくらいにはなってしまう。
 日が落ちれば痛い日差しからは逃れられるが、今度はコンクリートにたっぷり蓄えられた熱エネルギーがじんわりまったりとしみ出してくるので容易に気温は落ちない。加えて諸価高騰のおり、自分の部屋ではクーラーを使わないと決めている。この夏は扇風機でしのぐのだ。
 こんな夜に、何を聴くべきか。


 そうだ、マイルスを聴こう。


 ひとはどうか知らないけれど、ぼくはある時期のマイルス・デイビスを聴いていると、まわりの気温が若干下がるような気がする。それは涼しい、というのとは少し違う。クール、という語感も違和感がある。
 闇夜の静けさ、月光の怜悧さ、人気の絶えた交差点のどこか邪な感じ。そういったものがふらりと立ち上ってきて、わけもなく動揺したりする。血液がすっと頭から下がっていく。

 ちなみに、このアルバムのリーダーはマイルスではなく、キャノンボール・アダレイだ。が、どんなガイド本を読んでも実質上のリーダーはマイルスだ、と書いてあるので、ぼくもついマイルスのアルバムのつもりで聴く癖がついてしまった。
 だがまあ、それはどうでもいいことだ。大切なのは、「枯葉」という曲に奇妙な冷房効果があり、それはエネルギーをがぶ飲みするクーラーのたぐいとは別の原理で動いているらしい、ということである。
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2008年07月21日

ザ・シーン・チェンジズ/バド・パウエル


ザ・シーン・チェンジズ+1
The Scene Changes

バド・パウエル(p)
ポール・チェンバース(b)
アート・テイラー(ds)

1958年録音



  バド・パウエルのピアノは強烈な世界観とドライブ感を持っていて、聴くひとを異界に放り込んでしまう。それもいざなう、みたいな生やさしいものではなくて、現実をねじ伏せて強引にバド・ワールドに塗り替えてしまうような、ちょっとヤバめの力業である。スタンド使いみたいだ。
 うっかり絡め取られると、「ここはどこ? わたしはだれ?」みたいな思いをすることになる。


   それにしても、いまにも転ぶんじゃないかと思うような前のめりの姿勢のまま、ひりひりするような緊張感を保って疾走する演奏を聴いていると、ちょっと危ない感じがする。息継ぎをせずに数百メートルを駆け抜けるスプリンターのようだ。もし、ぼくがバド・パウエルのお母さんだったら、そういう弾き方は身体によくないわよ、とよけいな口出しをしたかもしれない。
 ひょっとしたらバド・パウエル本人が、ときとして、内からあふれ出すイマジネーションの奔流を制御しきれずにいたんじゃないかと思うことがある。だからあんなに唸るのだ。
 
  専門家筋によると、ハド・パウエルの絶頂期は40年代終わりから50年代のはじめにかけてなのだそうだ。58年録音のこのアルバムは絶頂期を過ぎているということになる。
  が、ぼくには、バド・パウエルが衰えているとはどうしても思えない。いわゆる絶頂期の演奏(たとえば「UN POCO LOCO」とか)を聴くと、確かにこれはもう手のつけようがない感がばりばりするが、それではこのアルバムの、たとえば「クレオパトラの夢」の豊饒かつ致命的な物語性はどうだろう。ハイ・ファンタジーとしてのバド・パウエルの音楽は、むしろこの頃に完成に向かいつつあったのではなかろうか?
posted by kiwi at 20:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2008年07月21日

ジャンゴ/MJQ


ジャンゴ
DJANGO

ミルト・ジャクソン(vib)
ジョン・ルイス(p)
パーシー・ヒース(b)
ケニー・クラーク(ds)

1953〜55年録音


 変なタイトルだ、と思ったことを覚えている。ぼくにとって「ジャンゴ」はB級マカロニウェスタン「続・荒野の用心棒」のフランコ・ネロ演じるガンマンの名前であり、「ウルトラマン」に出てくる怪獣の名前(これは単なる勘違いで、正しくは“ギャンゴ”)だったからだ。もちろん「ジャンゴ」はマカロニウェスタンでも怪獣でもない。フランスのギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトのことで、ジョン・ルイスが早世した彼を悼んで作ったタイトル曲の名前でもある。ぼくはそのあと、MJQ含めいろいろなひとが演奏するこの曲を何度も聴くことになるが(ぼくのiPodには12種類の「DJANGO」が入っている)、最初の印象はやはり強い。脳内で再生する「DJANGO」は、このアルバムの演奏だ。
 静かな哀しみに彩られた名曲である。音の残照が空気に沁みていくような余韻が忘れがたい。


 が、ぼくはずいぶん後でジャンゴ・ラインハルト本人の演奏を聴いて、?と思った。「DJANGO」の印象に加え、ジプシー出身のギタリストであるという経歴や、40ちょっとで早世したこともあって、ぼくの妄想の中のジャンゴは孤高、哀愁のギタリストだったのだ。ところが演奏は基本的に粋で陽性で愉しい。写真を見ると鼻の下にちょびひげを生やした端正な顔立ちで、品のいい結婚詐欺師という風情だ。「DJANGO」の雰囲気とは結びつかない。
 あの曲はジャンゴのテーマ曲というわけではなく、彼を失ったジョン・ルイスの(あるいはジャズ界の)哀しみを詠ったものだったのだ。

 ぼくはこのアルバムでジャンゴ・ラインハルトの名前を覚え、その後ジャンゴの相棒だったというバイオリン弾きがいるときいて興味をもち、ステファン・グラッペリに巡り会った。そういう意味でも思い出深い。
posted by kiwi at 00:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | コンボ・グループ

2008年07月19日

ライブ!(艶奏会)/カーラ・ブレイ


ライヴ!(艶奏会)
LIVE!

カーラ・ブレイ(orgほか)
ミッシェル・マントラー(tp)
スティーブ・スレイグル(asほか)
トニー・ダグラディ(ts)
ゲイリー・バレンテ(tb)
アール・マッキンタイアー(tubaほか)
スティーブ・スワロー(b)


1981年録音


 艶っぽいようなおっかないようなアルバム・ジャケットは前から気になっていたのだけれど、カーラ・ブレイはフリージャズのひとと聞いていたので二の足を踏んでいた。が、ふとビックバンドのフリージャズってどんなのだろう、サックスが10本いて好き勝手に金切り声を上げていたりするのだろうか(ぼくのフリージャズの認識はその程度)と思いついて、逆に怖いモノ見たさで買ってみた。買ってよかった。やっぱりレッテルはあまり気にするものじゃない。


 サックス10本はいなかったし、思っていたよりずっとストレートで聴きやすい音楽だったが、それはどこかでとっても「自由」なのだった。どんな道をたどってカーラ・ブレイの音楽がここに行き着いたのかぼくは知らないが、ここから先の道はきっとカーラ・ブレイが自分で地図に書き加えることになるのだろう。


 カーラ・ブレイは冗談のわかるひとに違いない。フトモモむき出しのジャケットも、「うひー」という声が聞こえてきそうなカーラの表情も、これがユーモアの一部なのだと考えると納得がいく。しかめ面して楽譜を書くひとからは、たぶんこういう音楽は生まれない。
posted by kiwi at 22:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | ビックバンド

2008年07月13日

雨の日のジャズ/スー・レイニー


雨の日のジャズ
Songs for a raney day

スー・レイニー(vo)
ビリー・メイ楽団

1959年録音


 雨の日というのは多かれ少なかれ憂鬱なものだけれど、録音当時19歳だった、才能と美貌に恵まれたカンサス州生まれのヤンキー娘、スー・レイニーにとってはそうではなかったらしい。
 突然のにわか雨に右往左往する行き交う人々、雨宿りに飛び込んだ軒先で偶然隣り合ったところから始まるロマンス、といった感じの、どこかで観たようなMGMミュージカルのサウンド・トラックだと言われても何の違和感もない。
 ひたすら明るくのどかな「雨の日のジャズ」だ。

 もちろん、このアルバムに足りないものはいっぱいある。たとえば翳り、深み、「ペンキ塗りたて」みたいな、危険な魅力。が、それがどうだというのだろう。深みのあるMGMミュージカルはきっと愉しくないし、スー・レイニーに異議を申し立てたところで、「どうしろっていうのよ。これがあたしの音楽なのよ」とこましゃくれた鼻をツンと立てて文句を言われるだけだろう。しかも彼女は正しいのだ。

 ここはおとなしくひたるに限る。
posted by kiwi at 21:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | ボーカル

2008年07月13日

おもいでの夏/アート・ファーマー


おもいでの夏
The Summer Knows

アート・ファーマー(flh)
シダー・ウォルトン(p)
サム・ジョーンズ(b)
ビリー・ヒギンズ(ds)

1976年録音


 「おもいでの夏」は映画音楽で、この映画をぼくはどこかで観ている。美しい人妻に憧れる少年が主人公の映画だったが、いつ、どこで観たのかはもちろん、ストーリーもおぼろげにしか思い出せない。ただ、いくつかの印象的なシーンを断片的に覚えているだけで(たとえば人妻の住む海岸の家が、妙に寂れて小さく見えたこととか)、それすら自信はない。何か別の記憶とごっちゃになっているのかもしれない。

 そんなだから、テーマ曲も覚えてはいなかったのだが、このCDを聴いて、映画を見終えたときの、なんだかノスタルジックな淋しげな感じをふと思い出した。ひょっとしたら思い出したわけではなくて、記憶の錯覚、デジャヴなのかもしれないけれど。

 アート・ファーマーのフリューゲルホルンは、ひとの記憶の柔らかいところを静かにかき回すようなところがある。大人しく沈殿していたものがひとときもやもやと立ち上り、我知らずうろたえるような、そんな感じ。
 郷愁、に近いのかもしれない。
posted by kiwi at 18:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | ラッパ

2008年07月12日

ナイト・ライツ/ジェリー・マリガン


Night Lights
Night Lights

ジェリー・マリガン(bs,cl,p)
アート・ファーマー(tp)
ボブ・ブルックマイヤー(tb)
ジム・ホール(g)
ビル・クロウ(b)
デイブ・ベイリー(ds)


1963,1965年録音


 昼間にうんざりするほどひとに会うのだから、せめて夜くらいほっといてほしいと考えているくちだ。おまけに酒が飲めないので、夜の街に出かけていくことはあまりない。夜の街はぼくにとっては、その中にいるものではなくて、離れたところから眺めているものである。
 華やかなイルミネーションも、騒がしいネオン街も、ひとの気配を感じないくらい遠くから眺めていると、別のものに見えてくる。音の聞こえない打ち上げ花火のように淋しく、夜の浜辺に打ち上げられた星屑みたいにきれいだ。あのどこかで酔っぱらいがゲロを吐いているのだと考えると興ざめだが、そういうことを考えても得をすることはなにもない。


 「ナイト・ライツ」はその名の通り夜景にぴったりの音楽だが、まわりに人のいないところで聴くとさらにぐっとくるのではないだろうか。高層マンションのペントハウスなんかよさそうだが、ペントハウスはどうすれば買えるのかよくわからないので、こっそり会社の屋上にでも忍び込んで夜景を眺めつつ、というのもいいかもしれない。


 世の中には、ちょっと離れたところから眺めたほうがきれいたものがいくつかある。
posted by kiwi at 11:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | サックス

2008年07月05日

ミッドナイト・ブルー/ケニー・バレル


ミッドナイト・ブルー+2
Midnight Blue

ケニー・バレル(g)
スタンリー・タレンタイン(ts)
メジャー・ホリーJr(b)
ビリー・イングリッシュ(ds)
レイ・バレット(conga)

1963年録音


 真夜中、というのは特別な時間だ。誰にでもやってくるわけではない。多くの人は眠っていて、「真夜中」は枕元を通り過ぎてしまう。一部の宵っ張りだけが、この時間を知っている。
 昼がモノや価値を生み出すために働く時間で、夜が身体を休める時間だとすれば、真夜中はそのどちらでもない。あってもなくてもよく、意味を生み出す必要はない時間。真っ当な人間の一日からは切り離された盲腸みたいな時間。そういう必要のない時間が、必要だと思うことがときどきある。

 そういう時間帯には、「元気が出て、明日も一日がんばろうと思えるようなポジティブ音楽」なんか聴きたくない。なんかもっと後ろ向きで、ダルくて、ヤバい音楽が聴きたい。つまり、真夜中みたいな音楽が聴きたいのだ。
 このアルバムなんてどうだろう?

 かつては宵っ張りの朝寝坊だったぼくも、最近はすっかり朝方の生活が身に付いて、11時を過ぎると眠くなる。健康的ではあるが、必要のないものが不足している気がしてならない。
 人はパンのみでは生きられないのだ。
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2008年07月05日

マッチブック/ラルフ・ターナー&ゲイリー・バートン


Matchbook
Matchbook

ラルフ・ターナー(g)
ゲイリー・バートン(vib)

1974年録音


 マッチブックってなんだろう、と思って調べたら、ジャケット写真にある、紙マッチのことをそう呼ぶらしい。

 煙草を吸っていたころ、ぼくはマッチ派だった。ライターはしょっちゅうどこかに置き忘れて不経済、というものあったけれど、マッチを摺って煙草に火をつけ、ふとふりして火を消して、という古くさい一連の手続きが、なんとなく好きだったのだ。それもできれば紙マッチ。1本を二つに折り曲げて横薬に滑らせて点火し、指先で弾いて火を消す、という一連の動作を、片手で素早くこなせるように練習したこともある。もちろんそんなものを習得したところで何のメリットもないのだけれど、それを言うなら煙草を吸うこと自体、何のメリットもない。


 このアルバムにマッチブックという名前がついている理由はよくわからないけれど、ぼくはこの音楽を聴いていて、マッチを消した後に香る、きな臭いような、懐かしいような、変な匂いを思い出した。
 そういえば、煙草をやめてずいぶんになる。マッチの匂いも最近は嗅ぐこともない。煙草はもう吸いたいとは思わないが、消したマッチの一筋の煙とあの匂いがふと懐かしくなることはたまにある。
 それはぼくにとって、「煙草を吸っていた時代」のシンボルみたいなものなのだ。きっと。
posted by kiwi at 12:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | ギター・ベース