2008年08月30日

ジ・アウェイクニング/アーマッド・ジャマル


ジ・アウェイクニング
THE AWAKENING

アーマッド・ジャマル(p)
ジャミル・ネッサー(b)
フランク・ギャント(ds)

1970年録音


 アーマッド・ジャマルの音楽は、聴き流せば上等のBGMだ。身軽で、さわやかで、微香性で、聴き手の個人的な領域に食い入ってはこない。たとえばジャマルの音楽のような娘(または青年)がいたとして、あなたが街で彼女(彼)とすれちがったとしたら、ちょっと振り返ることはあっても、一目惚れしたりはしないだろう。だが、あなたはその日一日、なんとなく上機嫌で過ごすのである。
 つまりはそんな音楽だ。


 そのくせ、アーマッド・ジャマルの音楽は、聴き流さないとちょっとやっかいだ。遅発性の筋肉痛みたいに、じわじわと効いてくる。たとえばジャマルの音楽のような娘(青年)とひょんなことから友達になって、彼女(彼)の歩き方や声を身近で見たり聞いたりするようになり、ときどきは二人きりで話をするようになったら、たぶんあなたは近いうちに、「お医者でも治せぬ病」というやつに罹患するだろう。
 そんな音楽だ。


 すれ違ってもよし、膝つき合わせてもよし。こういうタイプの音楽はありそうで、あまりない。それは同じカードの裏表でしかなく、どちらから見るかで見え方が変わるだけだ。どちらが正しい、という話ではない。
 ジャマルは無口なピアニストとして知られているが、このアルバムは彼にしては饒舌だ。はまるきっかけになるかもしれない。ご注意を。
posted by kiwi at 23:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2008年08月26日

ブローウィン・ザ・ブルース・アウェイ/ホレス・シルバー


Blowin the Blues Away
Blowin' The Blues Away

ホレス・シルバー(p)
ブルー・ミッチェル(tp)
ジュニア・クック(ts)
ジーン・テイラー(b)
ロイ・ヘインズ(ds)

1959年録音


 「ジャズ・ハズ・ア・センス・オブ・ユーモア」は1998年の録音だから、このアルバムとは40年近く離れているわけだが、並べて聴いてみると面白い。40年の間に世界が変わり、音楽が変わり、ジャズが変わっても、ホレス・シルバーはファンキー一筋でやってきたのだ。
 もしホレス・シルバーが高倉健のファンだったら、言ったかも知れない。「自分は、不器用ですから」。ファンキーな高倉健ってちょっと想像がつかないけれど。


 ずっと同じなので飽きられるひとと、変わらないことに意味があるひとがいる。ホレス・シルバーは後者だとぼくは思っているけれど、それが正しいかどうかはわからない。伝説の50年代は遠く過ぎ、こういう音楽は愉しい、と思っているぼくは、単に時代遅れなのかもしれない。
 でも、すべてが変わっていくのは、それはそれで淋しいことではある。変わらなければ進歩しないが、変わらないものがなければ進歩しているかどうかもわからない。世の中には定点みたいなものが必要なのだ。

 ファンキーな、定点。
posted by kiwi at 00:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2008年08月24日

ミシェル・ペトルチアーニ


ミシェル・ペトルチアーニ・トリオ
MICHEL PATRUCCIANI

ミシェル・ペトルチアーニ(p)
J.F.ジェニー=クラーク(b)
アルド・ロマーノ(ds)

1981年録音


 音の粒がぱちぱちとはじけるような、華やかでタッチの強烈なピアノを弾くひとだ。超絶技巧の持ち主で、いちど火がつくとえらいことになる。 


 ぼくはミシェル・ぺトルチアーニは聴く順番を間違えたようだ。最初に聴いたのはソロピアノの「100 Hearts」、次がフュージョン色の強い「MUSIC」、初の単独リーダー作となるこのアルバムは3枚目だった。
 「100 Hearts」と「MUSIC」はかなり雰囲気が違う。別人みたい、とまではいわないが、何かイヤなことでもあったのかな、と勘ぐる程度には違う。が、「ミシェル・ペトルチアーニ」を聴くと、この2枚のアルバムで聴ける音楽の種が、ペトルチアーニの袋の中には最初から入っていたのだ、ということがわかる。それに気が付くと、他の種の咲かせる花も気になってくる。


 生まれついての難病を患い、その生涯は長くなかったが、このフランス生まれのピアニストはかなり遠くまで行ったらしい。
 彼が見たものを、ぼくも見てみたいと思う。
posted by kiwi at 00:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2008年08月19日

ファイブ・フォー・ファン/ハイ・ファイブ


ファイヴ・フォー・ファン(6ヵ月限定スペシャル・プライス)
FIVE FOR FUN

ファブリッツィオ・ボッソ(tp)
ダニエル・スカナピエコ(ts)
ルカ・ヌマッツァ(p)
ピエトロ・チャンカグリーニ(b)
ロレンツォ・ツゥッチ(dr)

2008年録音


 ぼくの音楽のコレクションにはひとつ問題がある。アーティストの死亡率がやたらに高いのだ。数えたわけじゃないが、7割かた死んでいるんじゃないだろうか。
 別に死んだひとが好きなわけではない。古いアルバムが多い上に、ジャズという音楽はどうも健康によくないらしく早死にするひとが多いので、結果としてそういうことになってしまうのである。


 聴きたい古いアルバムはいくらでもあるけれど、死んだひとばっかりというのも淋しい。いまこの瞬間に活きのいいのが活躍しているのに、それに気づいたときには当人が死んだあとだった、ということになったらつまらないではないか。
 というわけで、新しいひとも聴きたいのだが、土地勘がないので誰をきいていいかよくわからない。ジャズを聴き始めたときみたいにレンタルで知らない名前を片端から借りてみる、ということもしてみたが、どうもあまりうまく当たらない。で、もういいやとほとんどジャケットだけで買ってみたのがこれ。涼しくて、愉しそうだし。
 そうしたら、当たりだった。


 ボサノヴァかな(ボッソというひとが参加しているし)と思ったが、違った。なんだかスマートなジャズ・メッセンジャーズのようだ。ああいう無茶でやみくもで黒っぽいエネルギーの質量みたいなものは感じないけれど、代わりに洗練とまとまりとしゃれっ気を身につけて、でもそのメソッドはぼくのような音楽の聴き方をしてきたものには馴染みが深い。なにより、愉しい。

 名前を覚えておこう。ファブリッツィオ・ボッソ、スカナピエコ、ヌマッツァ・・・覚えにくい。
posted by kiwi at 23:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | コンボ・グループ

2008年08月17日

バード・アンド・ディズ/チャーリー・パーカー&ディジー・ガレスピー


バード・アンド・ディズ
BIRD AND DIZ

チャーリー・パーカー(as)
ディジー・ガレスピー(tp)
セロニアス・モンク(p)
カーリー・ラッセル(b)
バディ・リッチ(ds)

1950年録音



 ぼくにもかつて、良いものは良いひとが作っているのだ、と思い込んでいた牧歌的な時代があった。だから好きなアーティスト(小説家とかミュージシャンとか俳優とか)の悪い話を聞くと人なみに幻滅したりしていたのだけれど、ジャズに出会って、そういうのは思春期の初恋みたいに美しい勘違いだったのだ、と思うようになった。そんなことを言っていたら、ジャズなんか聴いていられないのだ。


 たとえばマイルス・デイビスだって相当な悪党だとぼくは思うが、彼の自伝に出てくるチャーリー・パーカーはマイルスが手を焼くトラブルメイカーである。彼のトラブルはまわりを巻き込むばかりか、彼自身も痛めつけて、その結果この不世出のサックス・プレイヤーは34歳で世を去ることになる。
 にもかかわらず、チャーリー・パーカーの音楽はかっこよく、美しい。もうほんと、どうしようもない。


 チャーリー・パーカーと盟友ディジー・ガレスピーとの掛け合いは鳥肌ものだが、もうひとつの聴きどころがセロニアス・モンクの妙なピアノだ。ぼくはこのひとの演奏は、リーダーアルバムよりサイドマンで参加しているときのほうが面白いと思う。音楽のその部分が、魚眼レンズで覗いたときみたいにぐにょーんと歪んで、それでいて音楽にぴったりとはまっているという、奇妙で不思議な体験ができるからだ。
posted by kiwi at 13:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | サックス

2008年08月12日

ザ・ファントム/デューク・ピアソン


ザ・ファントム
THE PHANTOM

デューク・ピアソン(p)
ジェリー・ドジオン(fl)
ボビー・ハッチャーソン(vib)
アル・ガーファ(g)
ボブ・クランショウ(b)
ミッキー・ローカー(ds)
パタート・バルデス(conga)


1968年録音


 なんかこのアルバム、邪悪な感じがする。
 邪悪というのが変なら、なにかイケナイ感じがする。


 宝石やドレスやルージュで飾り立てた絶世の美女(グラマー)。
 爛熟して馥郁たる香りを漂わせる、落ちる寸前の果実。
 さわらずにはいられないペンキ塗り立てのぴかぴか。


 過剰で、贅沢で、誘うようで、悪趣味の直前ぎりぎりでとどまってみせる、禁断の果実というところだろうか。本屋で水着のグラビアをこっそり立ち読みしているみたいに、後ろめたい。後ろめたいが、魅惑的だ。

 イケナイ感覚はこのアルバムの魅力の一部なのかもしれない。
 水着グラビアは本屋でこそこそ眺めてこそであって、買って堂々と読むと思ったほど面白くないのである。
posted by kiwi at 23:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2008年08月10日

レイ・ブライアント・トリオ


レイ・ブライアント・トリオ
Ray Bryant Trio

レイ・ブライアント(p)
アイク・アイザックス(b)
スペックス・ライト(ds)

1957年録音


 夏目漱石の「夢十夜」に彫刻師の話が出てくる。掘るべき彫刻は実は元々素材となる木の中に埋まっていて、彫刻師はそれを掘り出しているだけだ、という話だ。ぼくはこのレコードを聴きながら、この話を思い出した。

 レイ・ブライアントの指先が、名曲「金の耳飾り」を描き出していく、というよりは、もともとこの曲は水の中のガラスみたいに空気の中に存在していて、レイ・ブライアントの音の粒がそれを縁取っていくことで、やっと我々凡人の目にも見えるようになる。そんな風に思えたのだ。まるで精霊の塗り絵のように。

 塗り絵といっても、レイ・ブライアントの創造力やテクニックに問題があるという意味ではない。もしこの音に、置かれるべき位置があるとしたらここだろう、と思われるまさにその場所に、それぞれの音がぴたりと配置される、そんな奇妙な感覚がずっと消えないのだ。

 気色いい。
posted by kiwi at 23:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2008年08月09日

バードランドの夜 Vol.1/アート・ブレイキー


A Night at Birdland, Vol.1
A Night at Birdland, Vol.1

アート・ブレイキー(ds)
クリフォード・ブラウン(tp)
ルー・ドナルドソン(as)
ホレス・シルバー(p)
カーリー・ラッセル(b)

1954年録音


 特別な夜、というものが確かにある。その夜を境に、それ以前とそれ以降、という語られかたをするようになる一夜だ。
 まあ夜、というのは単なる象徴であって、別に夜である必要はない。だが、何かが生まれて世界が少しだけ変わる、そういうタイミングは夜が似合っているように思う。物事が生まれるのはだいたいくらいところ、混沌の中からだから。
 1954年のその晩、アメリカのどっかのクラブでちょっと愉快なものが生まれた。


 それから時間で半世紀、距離で地球を半周離れたところで、その夜の音楽を聴いていると、なんだか不思議でしょうがない。ぼくは奇跡を信じない。たとえばぼくが明日朝起きてみたらわけもなく億万長者になっている、ということは起こらないように、物事は起きるべきときに起きて、起きにくいものは起きないのだ。同じ理屈で、たまたまぴったりその夜に、奇跡的にヒマを持てあましていたブルーノートの連中が録音機材を持ち込んだ、というのは不自然だと思う。きっとそういう特別な夜はけっこう頻繁にあって、たまたまそのうちの一つが録音されたに過ぎないのだ。

 そう思うと、この世界もけっこう捨てたもんじゃない、という気分になってくる。

2008年08月03日

トゥルース/デューク・ジョーダン


Truth
TRUTH

デューク・ジョーダン(p)
マッズ・ヴィンディング(b)
エド・シグペン(ds)

1975年録音


 だいぶ前からキーホルダーを探している。前に使っていたやつが壊れてしまったのだ。

 キーホルダーなんか、どこにだって売っている。土産物屋にだって、ファミレスのレジの脇にだって置いてあるし、ブランドショップには宝石なみに高いやつだってある。が、ぼくが欲しいのは記念品でもアクセサリーでもない。邪魔にならず、どっかにひっかかったり、こんがらがったりせず、必要なとき(たとえば車を預けるときとか)には爪を剥がさなくても鍵を外せて、そうでないときはポケットの中で勝手にばらばらになったりしない、あたりまえに使いやすいキーホルダーが欲しいのだ。
 そういうキーホルダーは、どうやって探せばいいんだろう?


 とくに特色があるわけでない、「あたりまえでいいもの」を探すのは難しい。キーホルダーみたいにありふれたものであればなおさらだ。あたりまえにうまいトマト、あたりまえに使いやすい茶碗、あたりまえにやりがいのある仕事、あたりまえに優しい恋人、あたりまえに楽しい生活・・・人生はよいキーホルダーを探す旅のようなものなのかもしれない。


 デューク・ジョーダンのピアノはときとして退屈だ。だがそれは、よいキーホルダーのように退屈なのだ。デューク・ジョーダンのピアノはこんがらがったり、ポケットの中でバラバラになったりはしない。流行のマスコットはついていないし、バリバリのブランド品というわけでもないが、あたりまえにしっかりとキーをホールドする。芸術家というよりは職人の仕事だ。

 そういう音楽は必要なのだ。
 少なくとも、ぼくにとっては。
posted by kiwi at 15:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2008年08月02日

ボウイン・シンギン・スラム/スラム・スチュアート


Blowin Singin Slam
BOWIN' SINGIN' SLAM

スラム・スチュアート(b)
ジョニー・ガニエリ(p)
エロール・ガーナー(p)
サミー・ウェイス(ds)

1944〜45年録音


 ライオネル・パンプトン楽団の伝説の名演「スターダスト」で4番目にソロをとるのがスラム・スチュアート。ハナがたれそうなソロがアルト、トランペット、テナーと続いた後にベースソロだから、これはちょっと休憩かな、と思うとそうではない。ベースを弓弾きしながら鼻歌を歌う、という妙なスタイルが、リラックスした曲想にまるでジグソーパズルの一片みたいにぴたりとはまる。ぼくはこの1曲で、スラム・スチュアートの名前を覚えた。


 こういう音楽を聴いていると、音楽ってこれで十分なんじゃないだろうか、と思うことがある。ぼくたちはいろいろと考えて新しいものを作りだし、絶え間なくずんずんと前に進んできたわけだけれど、実は必要なものはずいぶん前に生み出され、そこで止まってもとくに問題なかったんじゃないだろうか。音楽に限った話ではないけれど。


 もちろんそれは幻想、気の迷いみたいなものではある。どんなものも古びていき、作られたときそのままの香気を永遠に保っておくことは難しい。新しいものが生み出されなければ、この世界はずいぶん退屈で味気ないものになっていただろう。

 とはいえ、夏の休日の昼飯前に、半世紀以上前に吹き込まれた世界の鼻歌に耳を傾けるのもそう悪いことではないと思う。
posted by kiwi at 11:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | ギター・ベース