2008年09月28日

孤軍/秋吉敏子&ルー・タバキン・ビック・バンド


孤軍
KOGUN


秋吉敏子(p)
ルー・タバキン(ts,fl)


1974年録音



 旅先から戻ってきたら秋が来ていた。

 毎年同じ時期に同じ季節が巡ってくるのは不思議だ。約束している新聞配達や宅急便だってお休みしたり遅れたりすることがあるのだから、たまには夏がずっと終わらなかったり、冬の次が秋だったりすることだってありそうだが、そういうことはあまり起きない。世界はぼくが思っている以上にきちんと管理されているらしい。
 寒気が温む春先が夜明けの払暁だとすれば、この時期は黄昏の先駆けといったところだろうか。これから季節は夜に向かう。表で遊べる時間は短くなるけれど、音楽や読書にむける時間が増えるので、それはそれで楽しみだ。


 「孤軍」は季節が交錯するこの時期にふさわしいアルバムだ。盛夏の勢いと晩秋の冷涼が、あるいは西洋と東洋の音楽が、緻密に、複雑に、カラフルに絡み合って、立体感は半端でない。音でくみ上げた箱根細工のようだ。これはどうやったら開くんだろう、とためつすがめつするのも面白いし、頭を空っぽにして、ただただこのきれいな構造物を眺めているのも乙なものである。
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2008年09月25日

インターモデュレーション/ビル・エバンス&ジム・ホール


インターモデュレーション
Intermodulation

ビル・エバンス(p)
ジム・ホール(g)

1966年録音


 ぼくはこのアルバムを、寝る間際に聴くことがよくある。いい感じにクールダウンができるのだ。耳に強くは残らずに静かに染みわたり、夕暮れの残照のような音の余韻がきもちいい。まっすぐな向きに頭と心と体を使い、しんなりと疲れた夜には、こういうのが効く。

 ビル・エバンスはこういうときでも甘くならない。優しいバラードを弾いていても、なにかの拍子に透明で暗い深淵みたいなものをのぞかせることがあって、聴き手がはっと我に返る。甘いのが嫌いというわけではないけれど(むしろ好き)、一日ひるまの世界に身を置いて、多すぎるくらい見聞きし、話しすぎるくらい話したあとでは、少し心の動きを抑えてじっとしていたい。
 そんなときにこのアルバムはちょうどいいのだ。
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2008年09月13日

ウェザー・リポート/ウェザー・リポート


ウェザー・リポート
Weather Report

ジョー・ザヴィヌル(p)
ウェイン・ショーター(ts,as)
ミロスラフ・ヴィトウス(b)
アルフォンス・モウゾン(ds)
アイアート・モレイラ(perc)
バーバラ・バートン(perc)
ドン・アライアス(perc)

1971年


 あまり動かない生活を続けていると、日々の埃、沈殿物みたいなものが、水底に積もるように、身の回りに少しずつたまっていく。そのままさらにじっとしていると、つもりつもった沈殿物はいつか凝り固まる。それはちょっとした防護壁、鎧みたいな役割も果たすので、安全、快適ともいえるが、その一方で身動きはとれなくなるし、そとの世界は自分でほじくったのぞき穴からしか見えない。そうなってから「ほかの世界があったかもしれない」とため息をついても、まあ自業自得といえなくもない。


 ぼくは多少日常に倦んでくると、普段はあまり聴かない、このタイプの音楽への親和性が高まってくる。何回か繰り返し聴いているうちに、若干のぞき穴が広がって、世界の見晴らしがよくなるような気がしてくるのだ。後のウェザー・レポートにもそういう効果はあるけれど、より薬が強いのは初期、特にこのアルバムだ。


 旅にでも出てみようか。
posted by kiwi at 14:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | コンボ・グループ

2008年09月08日

奇妙な果実/ビリー・ホリディ


奇妙な果実
Billie Holiday

ビリー・ホリディ(vo)


1939〜44年録音


 ジャズを聴き始めたころ、水道橋でジャズレコードばかりを扱っているレンタルレコード屋を見つけたことがあった。ビルの2階か3階に入っていて、がらんとした広めのフロアにレコード棚だけが並んでいる素っ気のない店だった。
 何度か通ううちに、無口なひげ面のマスターとひとことふたこと話をするようになった。ジャズがいっぱいあってうれしい、と話したら、マスターは「ジャズは腐りにくいからね」と少し笑った。
 いま考えれば品揃えはマスターの趣味だったのだろう。ジャズ喫茶の店主がするように、おすすめのアルバムを丹念に選んだのだと思う。ぼくが借りていくアルバムの1枚1枚をチェックしながら、ひげの奥でにやけていたのかもしれない、とあとになって気がついた。


 「奇妙な果実」もこの店においてあった。ビリー・ホリディがジャズ・ボーカリストの中でも別格扱いされていることは知っていて、それにはそれなりのわけがあるのだろう、とも思っていたが、妙なアルバムタイトルと楽しそうには見えないジャケットになんとなく重苦しい雰囲気を感じて、つい後回しにしていた。
 さて、今日は何を、とレコード棚を繰るたびにこのジャケットに行き当たる。そのたびに、これを聴いてみなくちゃ、と思うのだが、一度そうなるときっかけがつかめない。そのうち、手をつけていない宿題みたいに重荷になってきた。今度、今度、と思いながら時は過ぎた。


 結局ぼくは、あの店で「奇妙な果実」を借りなかった。聴くことになるのはずいぶん後のことである。あのとき、店で感じた予感のようなものは結局正しかった。ぼくは今でもビリー・ホリディの音楽を心のそこからは楽しめない。音楽という文脈の中で、彼女のメッセージをどのように消化すべきなのか、ぼくにはよくわからないのだ。
 わからないからときどき取り出して聴く。そんなおりに、特に別のことをしながらぼんやり聴いているときに限って、ふと鳥肌がたつことがある。理由は、よくわからない。


 水道橋のあのレンタルレコード屋は、ある日訪ねていくとなくなっていた。無口なマスターと、腐りにくいたくさんのレコードがどこに行ったのか、ぼくは知らない。
 「奇妙な果実」を聴くと、ぼくはあの店のことを思い出す。それは誰の人生にもある、あまり意味のないブイみたいなものに過ぎないのかもしれないけれど、もしもう一度あの店にいけるのなら、今度こそ「奇妙な果実」を借りよう。あのマスターがひげの奥でどんな顔をするか、確かめてみたいのだ。
posted by kiwi at 00:29 | Comment(2) | TrackBack(0) | ボーカル

2008年09月07日

ポートレイト・イン・ジャズ/ビル・エバンス


ポートレイト・イン・ジャズ+1
Portrait In Jazz

ビル・エバンス(p)
スコット・ラファロ(b)
ポール・モチアン(ds)

1959年録音


 学生だったころの話である。
 ジャズというのを聴いてみよう、と思い立ってレコード屋に行き、見つけたアルバムがこれだった。ビル・エバンスの名前を知っていたわけではなく、スイングジャーナルのゴールドディスクというワッペンがついていて(もちろんスイングジャーナルも知らない)、誰かが推薦しているらしい、と思ったのと、タイトルから見て少なくともジャズではあるだろう、と判断したのだ。ただ、新米の銀行員みたいなアルバムジャケットは、当時ぼくが持っていたジャズの印象とかけ離れていて、若干不安だった。


 で、これがどこがいいんだかさっぱりわからない。メロディはふにゃふにゃしてどこがサビなんだかもわからないし、だいたい不協和音みたいのがたくさん聞こえる。ベースはピアノとハモっているんだかいないんだか。ときどき暴走して止まらなくなるのは酔っぱらっているのか、それとも情緒不安定なのだろうか。
 いずれにしても失敗した、とぼくは思った。



 ずいぶん前の話だ。
 「ポートレート・イン・ジャズ」は今もぼくの手元にある。アナログレコードからCDに変わり、いまではデータ化されてiPodのハードディスクの中に収まっちゃいるけれど、もちろん内容は変わっちゃいない。あのときのままだ。
 だとすれば、変わったのはぼくのほうだ。ぼくはいまでは、このアルバムを聴いて、がっかりしたりはしないのだ。まったくのところ。

 こういうのを成長と呼ぶべきかどうかはよくわからないが(それだったら酒が飲めるようになったり、エロ本を恥ずかしがらず買えるようになることも成長と呼ぶべきだろう)、ぼくにとっては、世の中に楽しみがひとつ増えたのは単純にうれしい。それはごくわずかだけれど、世界の見え方が少しよいほうに変わることでもある。
posted by kiwi at 02:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2008年09月05日

ベース・オン・トップ/ポール・チェンバース


ベース・オン・トップ+1
BASS ON TOP

ポール・チェンバース(b)
ケニー・バレル(g)
ハンク・ジョーンズ(p)
アート・テイラー(ds)

1957年


 仕事の合間に、最近できたジャズ喫茶に行ってみた。明るい色のつるつるとしたテーブルに肘をついて、アニタ・オディを数曲、知らないボーカルものを少し、ロマンスグレイのおじさんがリクエストした「カインド・オブ・ブルー」のA面を途中まで。それで時間切れ。サラリーマンはせわしいのである。
 考えてみると、ジャズ喫茶に行くのはずいぶん久しぶりだ。それで、思い出した。
 ジャズ喫茶で飯を食うもんじゃない。


 最近、音楽はヘッドホンでばかりだが、ベース、特にウッドベースは、大きいスピーカーで、大音量で聴きたい。どんなに高額なヘッドホンでも、ウッドベースの骨身に染みる空気の揺らぎや音圧は再現できないからだ。といっても我が家の音響システムは、高校生のときにアルバイトして買ったスピーカーが現役だし、ターンテーブルの代わりにiPodだし(もっともぼくにはアナログレコードとiPodの音の違いがわからない気もするが)、だいたい夜中にそんな大きな音を出したら近所迷惑だ。
 というわけで、ジャズ喫茶の大きなスピーカーで、ポール・チェンバースあたりを心ゆくまでを聴いてみたい、というのが最近のささやかな願いだ。セロ弾きのゴーシュじゃないが、血の巡りがよくなって抜け毛が減ったり、頭がよくなったりするかもしれない。


 そのためには、せめて自分のリクエストがかかるまでは店に腰を落ち着けていられる、物理的かつ心情的な隙間が必要だな。
posted by kiwi at 23:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | ギター・ベース

2008年09月04日

シャット・ユア・マウス!/スラム・スチュアート


Shut Yo Mouth
SHUT YO' MOUTH!

スラム・スチュアート(b)
メイジャー・ホリー(b)
ディック・ハイマン
オリバー・ジャクソン

1981年録音

 築30年になる我が家はあっちこっちに隙間があるらしく、居間の壁にセミが止まって鳴いていたり、電話機の上でカマキリが仁王立ちしていたり、何かが寝室をばさばさ飛んでいるので捕まえてみたらコウモリだったりする。軒下にはスズメの巣もあるらしい。まっくろくろすけも、どこかに住んでいるだろう。
 こういうのは居住性能や資産価値の向上にはあまり役立たないし、ほかの点でも特にメリットがあるとは思えないが、住んでみるとこれはこれでおもしろい。いまどき雨漏りするとか、風が強いと雨戸ががたがたうるさくて寝ていられないとか、何度数えてもスイッチのほうが照明の数より多いとか、そういうのもこの家の味のうちである。
 ものごとが気に入るというのは、要はそういうことではないだろうか。新築建売3LDK日当良好駅徒歩5分買物至便、といった文脈でのみ善し悪しが語られる世の中は、きっとずいぶん退屈だろう。

 世の中にはベースを弓弾きしながら鼻歌を歌うという妙な芸風の人がいて、ぼくはそんなのはスラム・スチュアートくらいだろうと思っていたのだが、そうではなかった。このアルバムの相方のメイジャー・ホリーも、ベース奏者の鼻歌ニストである。
 (ベース+鼻歌)×2。

 こういう変な音楽がこの世界に必要なのか、えっどうなんだ?と詰め寄られたら、気の弱いぼくは唇を噛んで下を向いてしまいそうだが、少なくともこういうものごとを収容する世界の隙間、あるいは余裕のようなものは必要なのだとぼくは思う。隙間がないとセミやコウモリは入ってこない。いや、そんなの入ってこなくていいよ、というひとも多かろうが、まあそういわず、一度体験してみてはいかがだろう。
 家の中で網を振り回してセミやコウモリを追いかけるのも、たまには楽しい。
posted by kiwi at 23:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | ギター・ベース