2008年11月22日

ビバッブ/バーバラ・ディナーリン


ビバッブ
BeBaB

バーバラ・ディナーリン(org,footpedals)
ユルゲン・ゼーフェルダー(ts)
ヘルマン・ブロイアー(tb)
アラン・ブラスキン(as)
ジョー・ネイ(ds)

1985年録音


 ぼくはジャズが好きなくせに、音楽理論や技術的背景にはほとんど無知だ。楽しみで聴いている分にはそうそう困ることはないのだが、たまに恥ずかしい思いをすることもある。
 たとえば実は、オルガンという楽器の構造がよくわかっていない。

 昔、我が家にあった古いオルガンは、足下にフイゴ風の足踏みペダルがついていて、これを自転車をこぐようによいしょよいしょと踏んでやるとオルガンに空気が送り込まれて音が出る、という仕掛けだった。ぼくはオルガンは後にも先にもそれしか見たことがないので、ずっとそういうものだと思い込んでいた。ジミー・スミスもよいしょよいしょとフイゴを踏んでいる、と考えていたのだ。ジャズ・オルガンの記事を読んでいると時々出てくる「フットペダル」というのは、これのことだと思っていた。

 が、あるときふと考えた。もしあのフイゴが「フットペダル」なら、「フットペダルの名手」なんて言い方をするだろうか? それは「腕立て伏せの名手」と言うのと同じくらい変だ。だいたい今時のオルガンにフイゴなんかついているのだろうか。もし昔ながらの空気圧を使っているとしても、電動ファンやポンプでどうにでもなる。
 で、YouTubeかなんかでジミー・スミスの演奏シーンをみつけて、愕然とした。フットペダルというのは、エレクトーンの足下についている、でっかい鍵盤みたいなあれだったのか。ああ、人に言わないでよかった。あ、言ってしまった。

 で、しばらくは心穏やかにオルガン・ジャズを楽しめるようになったのだが、このアルバムのライナー・ノーツを読んでまた唖然とした。バーバラ・ディナーリンは「キーボードとフットペダルの一人二役」と書いてあるのだ。クレジットまでご丁寧に(organ,footpedals)となっている。
 ひょっとしたら、フットペダルはオルガンの一部ではないのだろうか? 
 一人二役という以上、一人一役が標準だろうから、世の中には「フットペダル奏者」というひとがいるのだろうか?
 フットペダルというのは独立した別の楽器なのだろうか?
 オルガン奏者は普通はフットペダルを使わないものなのだろうか? 

 だれか教えて。

2008年11月16日

ノラ・ジョーンズ/ノラ・ジョーンズ


Come Away With Me
Come Away With Me

ノラ・ジョーンズ(vo)



2002年


 むかしテレビ小僧だったころ、テレビアニメのエンディングテーマが好きだった。はじめ人間ギャートルズの「なんにもない、なんにもない・・・」、ゲゲゲの鬼太郎の「からーん、ころん・・・」、ルパン三世の「あしもとにからみつく・・・」とか。ストレートで元気なオープニングテーマより、ちょっと寂しげでひと味違うこっちのほうがピンと来たのだ。子供のころからひねくれていたらしい。
 もちろん、多少ひねくれたってアニメのテーマ曲なんだからちゃんと額縁におさまっているわけだけれど。

 ノラ・ジョーンズを初めて聴いたとき、ああ、エンディングテーマにぴったりだ、と思った。はずし加減とおさまり具合が絶妙で、賑やかすぎないし、沈みすぎない。適度に色っぽく、適当に可愛らしい。リラックスしているが、だらけない。ぼくがテレビのアニメとかドラマの監督だったら、自信作のエンディングテーマには「ノラ・ジョーンズみたいな雰囲気で」という指定をしたかもしれない。

 ぼくらの一日は、放送回数の決まってしない連続ドラマみたいなところがある。面白いか退屈かは別にしても、一応オープニングとしての朝があり、エンディングとしての夜がある。ノラ・ジョーンズを夜に聴くと落ち着く、という人が多いのは、つまりノラ・ジョーンズの音楽がエンディングテーマとしての機能を備えている、ということなんだろう。
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2008年11月15日

ジョン・ルイス・ピアノ/ジョン・ルイス


ピアノ(完全生産限定盤)
The John Lewis Piano

ジョン・ルイス(p)
バリー・ガルブレイス(g)
パーシー・ヒース(b)
コニー・ケイ(ds)
ジム・ホール(g)

1956〜57年録音


 典雅なるヘタウマ、ジョン・ルイス。聴くたびに、ぼくもがんばればこのくらいは弾けるんじゃないかと思う。MJQであれば、ミルト・ジャクソンのヴァイブが流れ込んでくるだろうと思われる余白が、そのまま余白として残っている。隙間と余裕をもってよしとするわびさびの境地であり、無為を有為の上位とするタオの世界であり、静寂と薄明を重んじる東洋美学の結晶である。

 まあ、そこまで言ったらウソだけど、とにかくピアノという楽器の持っている華やかさや、きらびやかさがまったくといっていいほどないのだ。どうしたらこう朴訥とピアノが弾けるんだろう。それはそれで希有な才能といってよいのかもしれない。
 やっぱりMJQはジョン・ルイスの音楽なんだなあ、と思う。MJQの盟友パーシー・ヒースやコニー・ケイが参加しているせいももちろんあるだろうけれど、音楽の芯の部分が共通なのだ。一方、ミルト・ジャクソンのソロアルバムにはMJQの香りはあまりない。

 ジョン・ルイスのピアノを聴いていると、ぼくはぬらりひょんという妖怪のことを思い出す。老人の姿をしていて、「忙しいときにどこからともなく家の中に入ってきて、その家のひとのような顔をしてお茶など飲んでいる」という、どのへんが妖怪なんだかよくわからない妖怪なのだが、それでいて日本の妖怪の総大将というキャラクター設定になっているのだ。存在感がないくせに偉いというのが、MJQを率いるジョン・ルイスに重なるのである。
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2008年11月11日

スピーク・ライク・ア・チャイルド/ハービー・ハンコック


スピーク・ライク・ア・チャイルド+3
Speak Like A Child

ハービー・ハンコック(p)
サッド・ジョーンズ(flh)
ピーター・フィリップス(tb)
ロン・カーター(b)
ミッキー・ローカー(ds)

1968年録音


 このブログで紹介したアルバムでいえば、「マッド・ハッター」(チック・コリア)、「マイ・ファニー・バレンタイン」(マイルス・デイビス)、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」(ウェス・モンゴメリー)。この3枚の共通点は? 
 答えは、ハービー・ハンコックがピアノを弾いていること、だ。

 この3枚は全然タイプが違う。そのいずれでも、ハービー・ハンコックがずっと昔からいたみたいな顔をして弾いている、というのはある意味すごいことじゃないだろうか。ちなみにハンコックが名を上げた「処女航海」「ヘッドハンターズ」ともまた違う。
 最近知ったのだが、このひとには「カメレオン」というあだ名があるらしい。時流に乗って、その時々の最先端の音楽を取り入れて次々と変わっていくスタイルからそう呼ばれるらしいけれど、与えられた音楽にぴたりとはまり込んでしまう、という点でもカメレオンの二つ名はふさわしい。
 かといって、どこにいるかわからなくなってしまうのでは、ない。たとえばマイ・ファニー・バレンタインのハービー・ハンコックは、鳥肌が立つような、というよりもあえて変な言い方をすれば「身の毛のよだつような」ピアノを聴かせてくれる。どうもこのカメレオンは、保護色を使って後景に溶け込むというよりは、回りの音楽を吸収して増幅し、それをもう一度音楽の中に投げ返すような、「攻めは最大の防御」みたいなカモフラージュをするらしい。こういうタイプのミュージシャンは、変人の多いジャズ界でもそうはいない。

 で、このカメレオンの地の色はどんなだろう? と思って、時々評判を聴くこのアルバムを買ってみた。
 どんな色かって?

 それが、やっぱりわからない。
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2008年11月06日

エラ・フィッツジェラルド・ライブ・アット・カーネギーホール


ライヴ・アット・カーネギー・ホール+7
ELLA FITZGERALD NEWPORT JAZZ FESTIVAL LIVE AT CARNEGIE HALL

エラ・フィッツジェラルド(vo)
アル・グレイ(tp)
エディ・ロックジョウ・デイビス(ts)
ロイ・エルドリッジ(tp)
トミー・フラナガン(p)
ジョー・パス(g)
キーター・ベッツ(b)
フレディ・ウェイツ(ds)
エリス・ラーキン(p)


1973年録音


 ライブアルバムがめっぽういい、というミュージシャンがときどきいる。音楽がコミュニケーション手段のひとつである以上、とりわけアドリブという名の「その場の勢い」が珍重されるジャズの世界で、スタジオ録音のレコードばっかりよくてライブはからっきし、というほうが珍しいとは思うけれど、それでもライブとなると、何か取り憑いているんじゃないか、と思うほど突き抜けるひとがいる。
 エラ・フィッツジェラルドはそのタイプなんじゃないかと、ぼくは思う。
 
 もちろん、ステージの上と下が互いに互いを煽りあい、自分のしっぽを追いかける犬みたいにぐるぐると止まらなくなる、しかもどんどんスピードが上がる一方、というのがライブの面白さの一番大きな部分ではある。だけれど、このアルバムなんか聴いていると、それだけではないような気がするのだ。
 ジャズファンとしてのぼくはもちろん、観客としてこの夜のカーネギーホールにいたかったなあ、と思う。きっとそれはちびっちゃうくらい楽しことだったろう。だがもし、そういうことが可能なのなら、ぼくは観客としてではなく、エラ・フィッツジェラルドになってこの夜、この舞台に立てたらなあ、と思う。
 それは彼女になりかわって、満場の観客の喝采を浴びたい、という意味ではない。彼女のように自由自在に歌いたい、という意味でもない。
 たぶん、この夜、彼女に必要なものはみんな彼女の周りに、手の届く範囲にあったのだ。仲間と、観客と、そしてもちろん、音楽と。それは控えめにいっても、羨ましいことじゃないだろうか。

 スターであろうとなかろうと、そういう瞬間をもてるひとは幸せだ。エラも仲間たちもそれが嬉しくて、張り切っているんじゃないだろうか。
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2008年11月05日

ポートレイト・オブ・ウェス/ウェス・モンゴメリー


Portrait of Wes
Portrait of Wes

ウェス・モンゴメリー(g)
メル・ライン(org)
ジョージ・ブラウン(ds)

1963年録音


 連休に日本の隅っこのほうで釣りをしていた。あちこちから集まってきたいい大人たちが、でかいのが釣れただの、いや小さいだの、こないだ俺の釣ったのはすごかっただの、あっちのほうが釣れそうだだの、それはともかく腹減っただの、およそ誰の役にもたちそうもないことで大騒ぎをしているのを見ていたら、ふとこういうところで暮らすのも悪くないなと思った。そのせいか都会に戻ってきても調子が出ない。居眠りしたわけでもないのに電車を乗り過ごして、隣の駅まで行ったりしている。


 こういうときにはウェス・モンゴメリーがいい。あの丸い音の、どこか泥臭く哀しげで、マイナーな感じが、病み上がりの重湯みたいに染みるのだ。それもできれば小さいユニットがいい。オルガンのメル・ラインと組んだトリオがあれば何よりだ。秋の夜長にひとり聴いていると、なんだか背中を丸めてこたつに当たりながら、こぶ茶を飲んでいるような気分になってくる。
 
 元気が出るかどうかはまた別問題だけれど、そういう音楽が必要な夜だってあるのだ。
posted by kiwi at 21:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | ギター・ベース