2008年12月23日

妖精/チック・コリア


Leprechaun
The Leprechaun

チック・コリア(pほか)
ジョー・ファレル(fl)
ゲイル・モラン(vo)
エディ・ゴメス(b)
スティーブ・ガッド(ds)


1975年録音



 ぼくは一時期ずいぶんチック・コリアに凝ったけれど、中でもこのアルバムはお気に入りだった。アルバムジャケットがちょっと変わっていて、真っ白な背景に花や妖精が描かれているのだけれど、それがレリーフみたいに盛り上がっているのだ。どういう技法なのかぼくにはわからなかったが、ときどきこのアルバムを取り出しては上から見たり、斜めから見たり、さすってみたり、においをかいでみたりするのが、ぼくは好きだった。

 CD時代になってアルバムジャケットはのっぺりした手のひら大の紙切れに変わり、ジャケットを眺める楽しみは半減してしまった。だが、ありがたいことに中身はCD時代になっても健在である。実は中身はジャケットより数段不思議なのだ。
 音楽を演奏する、というよりは、物語を紡ぎ出す、といったほうがぴったりくる。聴く人の中に物語を生み出すことは、すぐれた音楽には珍しくないことかもしれないけれど、あらためて経験してみるとそれはやっぱりすごいことで、まあちょっとした魔法の一種、と言ってもいいのではないだろうか。

 ただLP時代からどうしても気になるのが、ジャケットの中のチック・コリアだ。写実なのかもしれないけれど、「妖精と交歓している音楽的魔法使い」というより、「妖精にいたずらしようしているヘンタイ兄ちゃん」という第一印象がどうしても拭えないのだ。ハートマークを染め抜いた風呂敷着ているし。もう少しなんとかならなかったのだろうか。
 完璧って難しい。
posted by kiwi at 23:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2008年12月21日

サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム/マイルス・デイビス


サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム+2
Someday My Prince Will Come

マイルス・デイビス(tp)
ジョン・コルトレーン(ts)
ハンク・モブレー(ts)
ウィントン・ケリー(p)
ポール・チェンバース(b)
ジミー・コブ(ds)
フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)

1961年録音


 小川隆夫の「マイルス・デイヴィスの真実」に、お使いに出てにわか雨に降り込められ、雨宿りしていたら、マイルス・デイビス本人が傘を持って迎えに来た、という逸話が出てくる。マイルスといえば傲岸不遜、唯我独尊、ひとをひととも思わない、というイメージがあるけれど、親しいひとにとっては必ずしもそうではなかったらしい。帝王マイルス・デイビスは、ツンデレだったのかもしれない。

 そんなことを考えつつ、このアルバムを聴いていたらふと、ミュート・プレイはひょっとしたらマイルスの照れ隠しだったんじゃないだろうかと思った。ひとに優しくしたあとについ憎まれ口をたたいてしまうように、ちょっと音を歪めてみたかったんじゃないだろうか。さすがのマイルスも照れるくらい、この演奏は美しすぎるから。

 そんな妄想をたくましくしながら聴くのも楽しい。
posted by kiwi at 22:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | ラッパ

2008年12月15日

アルバム・オブ・ザ・イヤー/アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ


Album of the Year
Album of the Year

アート・ブレイキー(ds)
ウィントン・マルサリス(tp)
ジェームス・ウィリアムス(p)
ロバート・ワトソン(as)
ドナルド・ハリソン(as)
ビル・ピース(ts)
チャールズ・ファンブロー(bs)
テレンス・ブランチャード(tp)
ジョニー・オニール(p)

1981年録音


 背中の真ん中が猛烈に痒い。手が届かないので、誰かに掻いてもらう。ところがそれが微妙に当たらない。的外れではないけれど、痒いスポットからわずかに外れ、縁のところをカリカリカリ。生殺しだ。のたうちまわりながらもうちょっと右、もうちょっと下、と懇願するが、やっぱり皮1枚外れる。ちょっとした拷問である。
 ぼくにとってウィントン・マルサリスはそういう音楽家だ。で、ウィントンを擁する80年代のジャズ・メッセンジャーズとブレイキーおじさんも、やっぱりちょっとのたうってしまうのだった。

 ウィントン・マルサリスが悪いわけではない。もちろん、ぼくが悪いわけでもない。それは文字通り「ずれ」であって、ウィントン・マルサリスの音楽、あるいはウィントン・マルサリスに象徴される音楽と、ぼくの好みが微妙にずれている、ということでしかない。おそらく、ぼくの好みが若干古くさいのだろう。
 もっとも、ウィントン・マルサリスがもっときっぱりと新しくて、ぼくの音楽的地平線の向こう側にいたのなら、ぼくはこんなには困らなかっただろう。そうではないからこそ気になってしょうがないのだ。見えそうで見えないパンチラみたいに。

 ウィントン・マルサリスは最近、古いニューオリンズ・ジャズに回帰しているらしい。専門家筋の評判は芳しくないようだが、ぼくはそれが聴いてみたい。ひょっとしたら、と思うのだ。
 どのアルバムがそうなんだろう?
posted by kiwi at 23:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | コンボ・グループ

2008年12月08日

ドミノ/ローランド・カーク


ドミノ
DOMINO

ローランド・カーク(fl,ts,ほか)
ハービー・ハンコック(p)
ウィントン・ケリー(p)
アンドリュー・ヒル(p)
バーノン・マーチン(b)
ロイ・ヘイズ(ds)
ヘンリー・ダンカン(ds)

1962年録音



 サックスを3本一度に演奏したり、鼻でフルートを吹いたり、耳から万国旗を出したりするという噂だったのでおそるおそる聴いてみたのだけれど、ローランド・カークの音楽は、拍子抜けするくらいピュアなのだった。

 音楽的なギミックはあちこちに用意されてはいるし、それはそれで面白いのだけれど、それよりぼくは、この人の音楽のどこかにある、シンと静かなところが気になった。都心の賑やかな繁華街を歩いていて、表通りからふと路地を入ると、一歩ごとに引き潮のように車と雑踏の音が引いていって、まるでガラス蓋に守られたみたいな静かな古い住宅地に出ることがあるけれど、ちょうどあんな感じ。ぶんぶんと回転する独楽の心棒がいつもひとところにとどまっているように、音楽に静かで密やかな芯みたいなものがある。それがなんだか、笑わない道化師のように哀しい。
 3本のサックスを同時に演奏する方法より、なんだかそっちが気になる。
posted by kiwi at 23:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | サックス

2008年12月01日

ザ・モーメント/ケニー・バロン


ザ・モーメント
THE MOMENT

ケニー・バロン(p)
ルーファス・リード(b)
ビクター・ルイス(ds)

1991年録音


 ケニー・バロンがサイドマンとして参加したアルバムの枚数は、数百枚という規模らしい。50年というキャリアを考えれば驚異的とまではいえないのかもしれないが、勲章であることは間違いない。
 ぼくはときどき思うのだけれど、名脇役として引っ張りだこになるひとには、テクニック以外にも、いくつか求められる資質があるはずだ。たとえばそのひとがいることで映画や音楽にひと色加わること。そうでなければ、わざわざその人を呼ぶ必要はないからだ。
 そしてもうひとつ大切なのが、そのひと色が、全体の色調にちゃんと溶け込むこと。別の言い方をすれば、暴れ回って出過ぎたり、あまつさえ主役を食ったりしないこと。出るべきときは出、ひっこむべきときはひっこみ、舞台にバランスと強弱を作って、主役の力を引き出す。そういう仕事ができること。

 ケニー・バロンの音楽は、節制と色気、堅実と華のバランスが魅力だ。ぴしっとスーツの決まったフォーマルなビジネスマンが、振り返りざまにちらっとウインクをしてみせるようなところがある。堅物すぎないし、何をやるかわからないという怖さもない。安心なのだ。
 それはある意味では弱点なのかもしれないけれど、こういう音楽が必要な夜もある。たとえば、日曜日の夜なんかは、そうだ。
posted by kiwi at 00:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ