2010年04月18日

ケリー・アット・ミッドナイト/ウィントン・ケリー


ケリー・アット・ミッド・ナイト
Kelly at Midnight

ウィントン・ケリー(p)
ポール・チェンバース(b)
フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)

1960年録音


 公園の向かいに小さい肉屋があって、ときどきコロッケを買いに行く。妻の分と一つずつ、小さい紙袋に入れてもらって、ぶらぶら歩きながらそのままかじるのが旨い。駅前にはいつも行列ができている有名らしいラーメン屋や、よくグルメ本で見かけるしゃれたフレンチの店なんかもあるけれど、ぼくはそういうところに入り損なうよりも、ここのコロッケが売り切れていたときのほうがショックが大きい。
 別に変わったコロッケではない。さくさくした衣の、小判の形の、当たり前で真っ当でなんの変哲もない普通のコロッケだ。ああいうコロッケを売っている肉屋は、日本中に、それこそ数え切れないほどあるだろう。
 だが、それがいい。ああコロッケを食いたいなあ、心底コロッケが食いたいなあ、全身全霊でコロッケを食いたいなあ、と思ったときに、それを満足させてくれるコロッケがあったとして、それが取るに足らないことだというのなら、そういうひとはきっと音楽を聴いても面白くないだろうな、とぼくは思う。

 変なのを聴き過ぎて、あー普通のジャズピアノ聴きたい、当たり前のジャズピアノ聴きたい、と思ったときに取り出すことが多いのが、ウィントン・ケリーだ。ウィントン・ケリーがジャズピアノの代表選手だと思っているわけでもないけれど、この人の音楽にはとてもわかりやすい形で「ジャズのテンプレート」みたいなものが含まれていて、それが熱い風呂みたいによく効く。
 まあ、あんまり「らしすぎる」という一面はあるのかもしれない。だがそれは、コロッケに対して「コロッケらしすぎる」と文句をいうようなものだ。
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2010年04月10日

キャンディ/リー・モーガン


キャンディ
Candy

リー・モーガン(tp)
ソニー・クラーク(p)
ダグ・ワトキンス(b)
アート・テイラー(ds)

1957-58年録音


 土曜日。ここのところ残業続きでくたびれている妻に付き合って寝坊をしたら、起きた時には昼過ぎだった。久しぶりに日差しがあって風も気持ちいいけれど、出かけるには中途半端な時間なので、庭のウッドデッキに枕がわりのクッションを持ち出して、ごろごろしながら音楽を聴くことにした。
 iPodをラッコみたいに腹の上に乗せて、さて何を聴こうか。いろいろ試してみて、結局落ち着いたのが、リー・モーガンの「キャンディ」だった。手入れしていない狭い庭は、勝手に生えてきた白い花ニラと、名前を知らない黄色いのが花ざかり。冬の間に枝打ちをした梅の枝越しに雲が流れていく。そういう中で聴くリー・モーガンの、猫があくびをしつつうーんと伸びをするような屈託のなさとヌルさが、なかなかいい感じだった。

 この音楽の素直さは、リー・モーガンの自信の裏返しなんだろうな、と思う。小細工を弄したり、もったいをつける必要はない。こういう輝かしさに化粧は野暮だ。というより、邪魔だ。このとき、リー・モーガンは19歳。
 春というのは、そういう季節だ。自然にとっても、人間にとっても。
posted by kiwi at 23:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | ラッパ

2010年04月06日

コラボレーション/MJQ With ローリンド・アルメイダ


WITH LAURINDO ALMEIDA COLLABORATION
Collaboration

ミルト・ジャクソン(vib)
ジョン・ルイス(p)
パーシー・ヒース(b)
コニー・ケイ(ds)
ローリンド・アルメイダ(g)

1964年録音



 ローリンド・アルメイダはとりわけ地味なギタリストで、LA4でもそうだけど、注意深く聴かないといるんだかいないんだかわからなくなることがある。このアルバムは特にいるんだかいないんだかわからないなあ、と思って聴いていたが、さすがにいくらなんでも変だと思って調べてみたら、本当にいなかった。後半がボーナストラック(というかボーナスアルバム)で、ローリンド・アルメイダ関係ない「ポギーとベス」が丸々入っているらしい。これはこれで名盤なんだけれど、ぼくは別にちゃんと「ポギーとベス」を持っているのだ。お得なんだか損なんだかよくわからない。というか、こういうのは本当に、「いっぱい入ってた〜」と喜んでいていいのだろうか? 


 地味なローリンド・アルメイダが地味に真っ当に弾く「アランフェス」もこの曲の見本的な良さがあるけれど、ぼくはむしろMJQのボサノヴァにびっくりした。ボサノヴァ弾くジョン・ルイスなんか、ジョン・ルイスじゃないやい! という意見もあろうかと思うが、どんな顔して演奏しているんだろうと思うと楽しい。で、こういうのもさらりとこなすミルト・ジャクソンの懐って、ドラえもんの四次元ポケットなみに広い。
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2010年04月03日

ナイト・パッセージ/ウェザー・リポート


ナイト・パッセージ
Night Passage

ジョー・ザヴィヌル(kb)
ウェイン・ショーター(ts,ss)
ジャコ・パストリアス(b)
ピーター・アースキン(ds)


1980年


 
 久しぶりに仕事で徹夜をしたら、何日も経つのに調子が戻らない。一日中、中途半端に眠くて、すごく損をした気分だ。
 もう無理は利かないなあ、と若干寂しくなったが、よく考えるとぼくは若い頃から無理は利かなかった。年のせいというよりは、基本的な体力と体質、根性の問題である。どっちにしてもあほらしいのでもうやめよう。

 体調が悪いときにはカツ丼だの豚骨ラーメンだのは食いたくないものだが、音楽も選んで聴かないと胸焼けがする。ぼくの場合、こういうときにはなぜかウェザー・リポートが聴きたくなる。どうしてなのかよくわからない。

 軽くて消化がいいもの、というのなら、ほかにもたくさん候補はある。この頃のウェザー・リポートは耳あたりは柔らかいが、どこにすっとんでいくかわからない部分があって優しいだけじゃない。癒しとか安心とか、そういうものがウェザー・リポートの音楽に含まれていないとまでは言わないが、それ目当てでウェザー・リポートを名指しするひとは少ないのではないか。

 結局ぼくは、この音楽の生活感のなさ、現実からの浮遊感みたいなものを求めているんじゃないだろうか。毎日の暮らしに若干食傷気味になると、ぼくはウェザー・リポートが聴きたくなる。一心にタップダンスを踏んでいるみたいなジャコパスのベースや、人ごとみたいなウェイン・ショーターのサックス、浮世離れしたジョー・ザヴィヌルのキーボードは、現実に日経新聞的な接点を持たない。
 人間の身体は特定の栄養素が足りなくなると、それを含む食い物が食いたくなるようにできているが、きっと音楽も同じだ。若干、役に立たないものが不足しているらしい。
posted by kiwi at 00:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | コンボ・グループ