2012年09月30日

ブルース・オン・バッハ/MJQ

ブルース・オン・バッハBlues On Bach

ジョン・ルイス (p)
ミルト・ジャクソン (vib)
パーシー・ヒース (b)
コニー・ケイ (ds)

1973年録音

バッハというと、ぼくは「2001年宇宙の旅」を思い出す。
よく知られた映画のほうではなくて、A・C・クラークの小説版だ。

土星(映画では木星)へ向かう旅の途中、宇宙のただ中でひとりきりになってしまったデビット・ボーマン船長が、ディスカバリー号の音楽ライブラリを物色するエピソードがある。地球を遠く離れ、半径数億キロの虚空にただ一人。人類史上もっとも孤独な男がたどり着いた音楽がバッハだった。

はじめは人の声が聴きたくて、古典劇や詩の朗読を。やがて内容が煩わしくなってきてオペラ、それも外国語のものに切り替える。そして器楽曲だけを聞くようになり、「作曲家たちの感情のほとばしりに食傷することに、ひとりひとり切り捨てていった」。

そして最後はおおかたの例にもれず、バッハの抽象的な構築物に安らぎを見いだし、ときたま装飾的にモーツァルトを使うだけになった。
こうして、ハープシコードの冷え冷えとした音楽---二百年前に塵に返った頭脳の凍りついた思考--にうちふるえながら、ディスカバリー号は土星への道をひた走った。
(A・C・クラーク、伊藤典夫訳「2001年宇宙の旅」より)

音楽に含まれるひとの息づかいや熱情や意味が重苦しく感じられることがある。
ぼくの場合は精神的にへたばってくるとそうなるのだが、ボーマン船長もそうだったのだろうか? 
それとも、未知に向かって凍てついた星の海を独り行くときに、地上のパッションを連れて行くのは重いということなのだろうか?

もしボーマン船長がジャズファンだったら、何を聴いただろう?
ジャズ・メッセンジャーズやサラ・ヴォーンじゃないよな。デューク・エリントンでもないと思う。

音楽の使い方もセンスを見せつけた映画版。「ツァラトゥストラはかく語りき」や「美しき青きドナウ」の「2001年宇宙の旅」もよかったけれど、MJQを流しながら星の海を行くディスカバリー号も見てみたい。
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2012年09月28日

魅惑のワルツ/美空ひばり

魅惑のワルツFascination

美空ひばり(vo)

1955〜65年録音

天才、という言葉があまり好きじゃない。
ぼくが知らないだけで、世の中にはそうとしか呼べないひとがいるのかもしれない。だとしても、そういう人に対して「天才」と呼びかけるのは失礼ではないかとぼくは思う。それはあなたの能力はたまたまあなたに降ってきたもので、あなたが汗水たらして創りだしたものではない、というように聞こえるからだ。
上手にさえずる鳥のヒバリは、そういう意味では天才なのかもしれない。でも鳥でないほうのひばりは、天才ではないとぼくは思う。


ところで、よく日本語のジャズなんて、という人がいるけれど、ぼくはそういうのは単なるカッコつけだと思っていた。音楽に英語も日本語もない。いいか悪いかだけだ、と。
でも、このアルバムを聴いて、うーん、と思ってしまった。圧倒的に英語の歌のほうがいい。同じ曲を英語と日本語で歌い分けると目がチカチカするくらい差がある。日本語の歌詞は音節が少なくて、ぺたんとした感じになってしまうのだ。たとえば「ウン・ポコ・ロコ」を音数半分にして弾いて、と言われたらバド・パウエルだって困るだろう。
でもそれは日本語の欠点なのだろうか? 歌詞を歌詞として日本語に移し替えただけで、音のことを精緻に考えないからこうなってしまったのではないだろうか? もし桑田佳祐が訳詞やったらどうなっただろう、とふと考えたり。
タグ:美空ひばり
posted by kiwi at 22:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | ボーカル