2014年12月15日

ネイティブ・ダンサー/ウェイン・ショーター

ネイティヴ・ダンサー
Native Dancer
ウェイン・ショーター(as,ts)
ワグナー・テソ(p)
デビット・アマロ(g)
ジェイ・グレイドン(g)
ハービー・ハンコック(p)
デイブ・マクダニエル(b)
ロバーティンホ・シルバ(ds)
1974年

ジャズを聴き始めたころ、ガイドブックなどを鵜呑みにしてやっぱり聴いておかなくちゃ、と夏休みの宿題を片付けるようなつもりで聴いたアーティストが何人かいる。ウェイン・ショーターはその一人で、70年代の中頃、ジャズの潮目が変わり始めた時に、その一翼を担った人、という認識だったように思う。で、よくわからなくてそのあとずっと敬遠していた。それでも機会があると聴いてはみるのだけれど、どうもぴんと来ないのだ。まあ、それはそれでしょうがない。そのままずいぶん過ぎた。

最近、ウェザー・リポートをまとめて聴いてふと思い出し、久しぶりに聴いてみた。
このアルバムも初めてじゃないはずだが・・・こんなに可愛らしい音楽やる人だっけ? もっと理屈っぽくて小難しくて、ひねくれていた印象があるんだけれど。
ひねくれてたアルバムが素直になるわけはないから、ぼくが歳をとってひねくれて、その分これがすっと入るようになってきたのかもしれない。

こういうの成長って言うのだろうか?

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2012年10月13日

トゥルーブルー/ティナ・ブルックス

トゥルー・ブルー+2
TURE BLUE

ティナ・ブルックス(ts)
フレディ・ハバード(tp)
デューク・ジョーダン(p)
サム・ジョーンズ(b)
アート・テイラー(ds)

1960年録音

手のひらサイズのiPodに持っているアルバムが全部入ってしまい、数百枚の中からいま聴きたい1枚を指先一本で呼び出せるとはいい時代になったものだと思うが、その代わりに音楽をヘッドホンでばかり聴くようになってしまった。
たまには大きいスピーカーの前で、浴びるように聴きたい。
「セロ弾きのゴーシュ」に出てくるヤマネみたいに、骨や筋肉で音楽を聴きたい。
と思っても、できる投資は限られている。野中の一軒家ではないから、夜中に大きな音は出せない。築40年のおんぼろわが家は、さぞかし音の風通しもいいだろう。

そんなおり、近所に思いがけずジャズ喫茶ができたというのでおそるおそる行ってみた。
ジャズ喫茶って、あれだよね? 難しい名前の巨大なスピーカーと真空管のアンプがあって、いつも苦虫を噛み潰したみたいな顔をしているマスターがいて、客はテロリストみたいな男ばっかりで、コーヒーは煮返したみたいで、汚くて、煙くて、客にはリクエストシートと鉛筆が配られて、パット・メセニーをリクエストしたりすると常連客に殴られる、そういうところだよね? 話なんかしちゃいけないんだよね?

センスのいいネオンの映える、前面ガラス張りの、洒落たカフェかバールという感じの店内に一歩入ると、奥の席から若い女の客のキャーという笑い声が聞こえて、いきなり帰りたくなった。スピーカーはどこにあるのかわからない。というか、ジャズらしき音楽は流れてはいるが、そもそもアベック客の嬌声でよく聴こえない。マスターは如才ない感じのにこにこ顔の若い兄ちゃんで、リクエストなんかしたらきょとんとされそうだった。食い物は普通にうまかった。

なかなかうまくいかないのである。

自分の部屋のPCの両脇に配置したアンプ内蔵スピーカーで、iPod内のティナ・ブルックスをほどほどの音量で聴きながら、ふと思う。
快適なばかりでも面白くないな。
あと、フレディ・ハバード上手すぎ。
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2012年08月19日

ターニングポイント/ベニー・ゴルソン

ターニング・ポイントTurning Point

ベニー・ゴルソン(ts)
ウィントン・ケリー(p)
ポール・チェンバース(b)
ジミー・コブ(ds)

1962年録音

あまりの暑さに外出すると危険な気すらするので、せっかくの休日を家でごろごろ。ふだんは見ないテレビを見るともなしに見ていたら、清涼飲料水の工場を紹介する番組が流れていた。ペットボトルやアルミ缶、壜なんかを作る過程はたいへん面白かった。リアルなものつくりというのは有無を言わせぬ迫力がある。

工場はほとんどがオートメーション化されていて、でかい機械ががっちゃんがっちゃん、ベルトコンベアーがぐんぐんと動いているけれど、それでも全部機械がやっているわけではなくて、要所要所にはひとがいる。機械に材料を補充する係だったり、仕上がりをチェックする担当だったり、メンテナンスのひとだったりする。ラインのあちこちでもくもくと働いているそういうひとたちがいなかったら、ありふれたアルミ缶ひとつだって、ぼくらは手にすることができないのだ。

ぼくはときどき思うんだけれど、たとえばiPhoneを作ったのはスティーブ・ジョブスだ、という言い方は本当に正しいんだろうか? 子供みたいなことを言うようだが、ぼくがiPhoneを自分で作れないように、ジョブスもiPhoneを作れない。iPhoneを作ったのは、あちこちの工場や研究室で汗をかいた名前のないたくさんのひとなんじゃないだろうか? ジョブスもそのひとりであることは間違いないけれど。

ベニー・ゴルソンというひとは、作曲家やアレンジャーとしてはともかく、いちプレイヤーとしてはそんなに目立つ存在じゃない。テナーだったらコルトレーンでしょ、とか、やっぱりロリンズだろ、という意見に異を唱えるつもりはない。
でもこのアルバム、バックの好サポートもあって、しみじみ良い。特にバラッドは染みてくる。別に天才でなくても、飛び抜けて無くてもいいじゃないか。別にNo1の音楽が必要なわけではない。欲しいのは良い音楽だ。
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2012年02月07日

ストライド・ライト/ジョニー・ホッジズ&アール・ハインズ

ストライド・ライト(紙ジャケット仕様)STRIDE RIGHT

ジョニー・ホッジス(as)
アール・ハインズ(p)
ケニー・バレル(g)
リチャード・デイビス(b)
ジョー・マーシャル(ds)

1966年録音

いろいろなジャズを聴いてきた。
最初からはまったものもあるし、聴き続けるうちに着古した上着のように馴染んで手放せなくなったものもある。
その一方で、未だによくわからないものもいっぱいある。
たぶん、もうジョン・コルトレーンはどうでもいいや、とか思い始めたら、ジャズという音楽の輝きはだいぶ薄れてしまうだろう。未知の、未開拓の領域は世界の魅力の欠かせない一面である。音楽に限った話じゃなく。
ぼくの旅はまだ終わらない。

にもかかわらず、その一方で、ぼくは最終的にはこういう音楽に帰ってくるのかもしれない、という気もする。これに何を加え、これから何を引いたらいいんだろう? 旅人をひきとめて、やっぱりお家が一番いいや、と言わせかねない禁断の楽園音楽。

こういうのは困るのだ、本当に。

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2011年12月23日

キング・オブ・ザ・テナーズ/ベン・ウェブスター

King of the TenorsKing of the Tenors

ベン・ウェブスター(ts)
オスカー・ピーターソン(p)
ハーブ・エリス(g)
バーニー・ケッセル(g)
レイ・ブラウン(b)
J・C・ヘアード(ds)


1953年録音

「Tendary」「Danny boy」「When I Fall In Love」などのバラードがやたら沁みる。甘い酒はいい気になって飲み過ぎるとあとでえらいことになるが、こういう音楽も似たような副作用がありそうな気がする。でもクリスマスだからまあいいか。

ぼくは昔からクリスマスのうわついた感じが嫌いではない。とんがり帽子かぶってクラッカー鳴らして、という柄ではないけど、人気が消えた終電後の駅前でぽつんと点灯しているクリスマスツリーとか、マフラー巻いて白い息吐きつつ見上げるクリスマス仕様のショーウィンドウとか、そういうものが好きなのだ。そういう、うれし淋しいみたいな雰囲気は、正月飾りにはあまり感じない。

今年のクリスマスツリーは「Danny boy」を流しながら見に行ってみようか。
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2011年11月13日

デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン

デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン
DUKE ELLINGTON & JOHN COLTRAIN

ジョン・コルトレーン(ts,ss)
デューク・エリントン(p)
ジミー・ギャリソン(b)
アローン・ベル(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)
サム・ウッドヤード(ds)

1962年録音

子どものころ、Q&A形式の自己紹介を書かされるとたいてい、「将来なりたいもの」「尊敬するひと」という欄があった。なりたいもの、はその時々で適当なことを書いていたけれど、「尊敬するひと」はシートン、と書くことに決めていた。シートン動物記のシートン。
尊敬というより、ただ好きで、こういう風になりたいな、と思っていただけだったんだけど。そういや「行ってみたい所」も「ロッキー山脈」だったっけ。ほかの連中が「野口英世」とか「お父さんお母さん」とか書いていたのがなんだかちょっと不思議だった。

コルトレーンが尊敬するひとの欄に「デューク・エリントン」と書いていたかどうかは知らない。が、どう思っていたかはこのアルバムを聴くとなんとなくわかる。コルトレーンがかわいいのだ。リラックス、というより安心感というのだろうか。二人の間に流れるとつとつとした時間の感覚が好きだ。コルトレーンは基本苦手というぼくみたいのにも、このアルバムはいける。
二人の年は親子ほども違うが、このオヤジはアバンギャルドも平気で受け入れる。「こういうことなんだろ、ジョン」「はい!そうですお父さん!」みたいなやりとりもあって楽しい。いいなあこういうオヤジ。

ところで今、「尊敬するひと」って言われたらぼくはどう書くだろう?
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2011年11月04日

ジャズU.S.A/ソニー・クリス

ジャズU.S.A.
JAZZ - U.S.A

ソニー・クリス(as)
ケニー・ドリュー(p)
バーニー・ケッセル(g)
ビル・ウッドソン(b)
チャック・トンプソン(ds)

1953年録音

子どものころ、大工さんが材木にカンナをかけているのを、ずっと眺めていたことがある。大工さんがカンナを動かすたびに、薄くて長いカンナくずが飛び出してくるのが、まるで材木から水が噴き出しているみたいだった。迷いのない大工さんの動きがかっこよかった。かんなくずはそのまま食べられそうにきれいで、大工さんにもらっていいか聞いた覚えがある。食べなかったけど。
ソニー・クリスを聴いていたら、そのときのことを思い出した。

ソニー・クリスのかっこ良さは、腕のいい職人が、よい道具から可能性のすべてを引き出しているかっこ良さだ。
アルト・サックスを発明したひとは、ソニー・クリスの演奏を聞いたら泣いて喜ぶだろう。これだけ鳴らしてもらえば楽器も本望だろうし、もちろん演奏している本人も楽しいに違いない。

まあ、ちょっと凄すぎる、という一面もなくはない。

たとえば釣り旅から帰って来て、明日からまた満員電車に乗って仕事にいかなくちゃ、という日曜日の夜に、ちょっと気分を変えようとソニー・クリスを聴いたりすると、逆に疲れてしまうことがある。そういうときにはたぶん、どこか間が抜けていて、うんうん、お互いがんばろうね、みたいな気分になる音楽が向いているのだ。

もちろんそれは、ソニー・クリスの音楽の罪じゃない。そういうタイプの音楽ではない、というだけの話だ。だがぼくは、時々、この人もうちょっと間が抜けてもいいんじゃないだろうか、と思う。そうなったら、もっと凄いんじゃないか、という気がするのだ。変な言い方だけど。
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2011年10月27日

テイク・テン/ポール・デスモンド

テイク・テン
TAKE TEN


ポール・デスモンド(as)
ジム・ホール(g)
ジーン・チェリコ(b)
コニー・ケイ(ds)

1963年録音

ぼくはポール・デスモンドとジム・ホールのアルバムは、60年代くらいの、暗い、会話禁止の本格ジャズ喫茶で、眉間にしわ寄せて、怖い顔をして聴くといいんじゃないかと思う。リクエストしたら追い出されそうだけど。
この二人を組ませたプロデューサーの目論見はよーくわかるんだけど、BGMとして聴いているだけじゃもったいない気がするのだ。

ハマりすぎ、ころころ転がりすぎってのも、ある意味罪だ。そういう意味では、ポール・デスモンドとデイブ・ブルーベックのでこぼこチームは、でこぼこだったところに味があったんだな、と思う。
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2011年07月24日

シングス・アー・ゲティング・ベター/キャノンボール・アダレイ


THINGS ARE GETTING BETTER

キャノンボール・アダレイ(as)
ミルト・ジャクソン(vib)
ウィントン・ケリー(p)
パーシー・ヒース(b)
アート・ブレイキー(ds)

1958年録音

南伸坊みたいなニコニコ顔でアルト・サックスを軽々と鷲掴みにしているこのジャケット、どこかで見たことがあると思ったら、村上春樹/和田誠の「ポートレイト・イン・ジャズ」だった。キャノンボール・アダレイを描くに当たって和田誠がモチーフに選んだのがこのおおらかで楽しそうなジャケットで、それは正しいのだろうとぼくは思う。キャノンボール・アダレイに小細工は似合わない。しかもバックを固めるメンツがこれなら、迷わず直球ど真ん中にガンガン行ける。ジャズも、キャノンボール・アダレイも、迷う必要がなかった、幸せな時代の幸せな音楽だ。
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2011年06月15日

枯葉/キャノンボール・アダレイ

枯葉(グレイト・ラヴ・テーマ)

Great Love Themes

キャノンボール・アダレイ(as)
ナット・アダレイ(tp)
ジョー・ザヴィヌル(p)
ハービー・ルイス(b)
ロイ・マッカーディ(ds)


1966年録音

 ウィズ・ストリングスが好きだ。パーカーやクリフォード・ブラウンはもちろん、アート・ペッパー、ウェス・モンゴメリー、ミルト・ジャクソン、ビル・エバンスなんかも好きなウィズ・ストリングス盤があって、頻繁に聴く。甘いのも好きだが、それ以上に「ウィズ・ストリングスなんだから面倒なこと言わずにまあ気楽にやろうや」みたいな開き直りが好きなのだ(本人がどう思っているのかはともかく)。その結果、この人こんな演奏もするんだ、みたいな発見があって楽しい。ふだん強面のおっさんが、ペットの柴犬と遊んでいると目尻下がりっぱで可愛い、みたいなもんかもしれない。

 キャノンボール・アダレイは「サムシング・エルス」とか「マーシー・マーシー・マーシー」の印象が強く、ぼくの中では強面おやじだったんで、ウィズ・ストリングスはちょっと意外だった。けれど、印象が変わったかというとそうでもない。
 ストリングスがぎょうさん過ぎてうるさいけど、キャノンボールおやじが負けず劣らずたっぷりとうるさいので、甘々なコンセプトに似合わず、がっぷり四つのパワープレイ、みたいになっちゃってる。でもそれがきっとおやじの身上なんだろう。ジョー・ザヴィヌルのきらきらピアノも面白いし、ひとりだけ訥々とついてくる弟くんナット・アダレイの引き具合も楽しい。途中で切れちゃうのも楽しい。なんだかバランスめちゃくちゃだけど、そのめちゃくちゃ具合が楽しい変なアルバムである。
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2011年05月08日

サヒブ・シハブ・アンド・ザ・ダニッシュ・ラジオ・ジャズ・グループ

Sahib Shihab and the Danish Radio Jazz Group
SAHIB SHIHAB
and the Danish Radio Jazz Group

サヒブ・シハブ(bars,fl)

1965年録音

 ジャズ評論家の中山康樹が、自分がジャズを聴き始めたころの逸話として、「サヒブ・シハブってヒト?」ってどこかで書いていて、笑った。ぼくも似たような経験があったので。「ヴァイブ」もなんだかわからなかった当時、サヒブ・シハブってのも楽器かもしれないと思ったのだ。インドか中近東あたりの。

 音楽のほうはエスニックというわけではなく、むしろごりごり。かなり狙った感じの臭みがあって、ちょっとチープなハードボイルド映画のBGMに似合いそうだ。といってもけなしているわけではない。「すがすがしいラーメン」とか「爽やかカツカレー」とかがあまり旨そうではないように、臭いから旨いものがあるのだ。この音楽みたいに。

 WikiPediaによると、生まれたときからサヒブ・シハブではなく、アメリカの黒人プレイヤーでイスラム教に改宗して改名したらしい。モハメド・アリもそうだった。その後ヨーロッパに渡り、このアルバムもヨーロッパのメンバーを率いて録音しているようだ。いろいろあったんだろうな、と思う。
 ごんごん出てくるベースがニールス・ペデルセンで、ちょっとびっくり。
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2011年01月03日

ボス・テナーズ/ジーン・アモンズ&ソニー・スティット

ボス・テナーズ
Boss Tenors

ジーン・アモンズ(ts)
ソニー・スティット(as,ts)
ジョージ・ブラウン(ds)
バスター・ウィリアムス(b)
チャールス・ウィリアムス(b)

1961年録音

 ぼくらの身の回りにあるものは多くが、どうやって作られたのか見当もつかない。たとえばぼくの机の上の置き時計。買えば千円しないのだろうが、文字盤から時針、プラスチックのボディ、24時間正確に時を刻み続ける駆動部から電池に至るまで、どうやって作られているのか想像もできない。そういうものは、自分で同じものを作ることも想像できない。器用とか不器用とか才能がどうこうとかいう以前の問題だ。
 置き時計ですらそうなんだから、iPodだの車だのビルだのとなった日にゃ、もう想像すらできない。もういっそ、神様がお与えくださった、とか、夜中に小人の妖精が集まって作ってる、と言われたほうが納得がいく。

 一方、そんなに数は多くないけれど、どうやって作られたか見当のつくものもある。
 たとえば料理。たとえばシンプルな食器。壁にかかった絵。庭木。きれいな釣竿。服。熱帯魚水槽の中の小さい生命圏。それから音楽。

 そういうモノに惹かれるのは、そんなに不思議なことじゃないと思う。つまりはそれはぼくらにとって、ひとの腕と指によって作られた、こちらの世界のものだからだ。なんかほっとして、で、ひとの姿が見える分、その凄さに気がつくのだ。

 古いジャズが好きなのはそのせいなのかもしれないと思う
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2010年02月21日

ファースト・プレイス・アゲイン/ポール・デスモンド


FIRST PLACE AGAIN
First Place Again

ポール・デスモンド(as)
ジム・ホール(g)
パーシー・ヒース(b)
コニー・ケイ(ds)

1959年録音


 文句をいう筋合いではないが、ポール・デスモンドとジム・ホールってのは、ちょっと似合いすぎなんじゃないかという気がしないでもない。似合って何が悪いんだという話ではあるのだけれど、ジャズという音楽ではほころびも味のうちで、ちょっとはみ出しているくらいが楽しい。

 ある意味できすぎなバランスが若干崩れるのが「グリーンスリーブス」。ここではジム・ホールがガット・ギターを弾いていて、珍しく生臭いくらいの存在感を感じさせる。いつもの水のような浸透力が薄れた分、逆にポール・デスモンドの歌が引き立つのだ。でも二人はそっけない。もっと聴いていたいのに、この曲たった2分しかない。
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2010年01月24日

バド・シャンク・カルテット


バド・シャンク・カルテット
BUD SHANK QUARTET

バド・シャンク(as,fl)
クロード・ウィリアムソン(p)
ドン・プレル(b)
チャック・フローレス(ds)

1956年録音


 だいぶ前だが、サンフランシスコに行ったことがある。列車で移動してみようとCaltrainのプラットフォームに出てみたら、見渡す限りの広野で、透明度の高い空気を通して遙か彼方の山裾までくっきりはっきり見えた。ちょうど気候のいい季節で、マンガみたいに雲一つない青空の下、風に吹かれて立っていたら、こんなところに住んでいたら、まああまりややこしいことを考える気にはならないわな、と思った。
 
 バド・シャンクがどこで生まれて育ったのか知らないが、このアルバムを聴いているとぼくはあの景色を思い出す。どこまでもつっかえずに伸びていく感じ。輪郭のくっきりした、にじまない音。光と風と若さ。ほんのりとした甘さ。西海岸のジャズ。含みとか陰りとかミステリーといった要素は少なく、妄想がふくらまないきらいはあるけれど、そういうものは別のところで楽しめばいいのだとぼくは思う。あの陽光と風の下に、あまり隠微な代物を置いてはおけない。

 ぼくはこのひとのフルートが好きなのだが、けっこう出番が多いのも嬉しい。フルートのジャズは時々、ふわふわすぎるケーキみたいになんだか物足りないことがあるけれど、バド・シャンクのフルートにはそれはない。メイン・ディッシュでも見劣りしないボリュームだ。
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2009年12月29日

バッド! ボサ・ノヴァ/ジーン・アモンズ


バッド!ボサ・ノヴァ
Bad! Bossa Nova

ジーン・アモンズ(ts)
ケニー・バレル(g)
バッキー・ビザレリ(g)
ハンク・ジョーンズ(p)
ノーマン・エッジ(b)
オリバー・ジャクソン(ds)

1962年録音


 この柄の大きさ、安定感って、一体何なんだろう、とジーン・アモンズを聴くたびに思う。コルトレーンの緊迫も、ロリンズの豪快も、スタン・ゲッツの魔性をも彼岸に悠々と眺めつつ、ジーン・アモンズは我が道を行く。どんな装いをしてもその貫禄は隠しようがなく、「あ、もしかしてボステナーの人ですよね?」「わっはっは、ばれてしもうたか」みたいなところがある。こういうおっさんに「まあ、悪いようにはしないからついてこいや」って言われたら、もうどうにでもしてって気分になりそうで怖い。

 あまり音楽を聴く気分じゃないとき、iPodのシャッフルなんかでたまたまジーン・アモンズが聴こえてくると、それをきっかけに食欲が戻ってくることがある。この人の音楽には、ぼくがジャズを聴き続ける理由の原型みたいなものが、色濃く含まれているような気がするのだ。
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2009年08月01日

ライブ・イン・ニューヨーク1971/ポール・デスモンド ウィズ MJQ


LIVE IN NEW YORK 1971
Live in NEWYORK 1971

ポール・デスモンド(as)
ミルト・ジャクソン(vib)
ジョン・ルイス(p)
パーシー・ヒース(b)
コニー・ケイ(ds)


1971年録音



 ポール・デスモンドはああいう音色を出すひとなので、ストリングスなんかと組むとハマりすぎて、ええとどこいっちゃったかな、みたいな感じになることがある。それはそれでいっそすがすがしくて好きなんだけれど、デズモンドの音色を愉しむならむしろバックはクールなほうがいい。デイブ・ブルーベック・カルテットが成功したのはそのせいなのだろう。
 渋茶にようかん、カレーにらっきょう、スイカに塩。異なる味が互いに引き立て合って、ちょっとした化学反応みたいなことが起きることは珍しくない。

 そういう意味ではMJQと組んだこのアルバムも期待大で、探しまわった甲斐はあった。デスモンドの持ち味がきれいにMJQの音楽に溶け込んで、モダン・ジャズ・クインテットとでも呼びたいようなハーモニーが気色いい。ミルト・ジャクソンのフォローも至芸の域。大人だなあ。デスモンドのファンなら名盤の1枚に数えていいと思うし、MJQびいきも後悔はしないはず。あまり有名でないのが不思議だ。
 後半はボーナストラックで、MJQのみの演奏。1991年の別のライブだそうだ。

 ところで、ポール・デスモンドは正面から見るとウディ・アレンに似ている。どうでもいいけれど。
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2009年07月19日

ドント・ストップ・ザ・カーニヴァル/ソニー・ロリンズ


ドント・ストップ・ザ・カーニヴァル(紙ジャケット仕様)
What's New?

ソニー・ロリンズ(ts)
ジム・ホール(g)
ボブ・クランショウ(b)
ベン・ライリー(ds)


1962年録音


 あんまり暑いのでせめて音楽くらい涼しいのを聴こうといろいろ試したけれど、結局面倒くさくなってこれに落ち着いた。座っているだけでぷちぷち汗が水玉になって噴き出してくるみたいな状況では、姑息な懐柔手段や現実逃避は効かない。いっそ暑くて楽しいなあオイ! みたいな音楽で迎撃するのが一番だ。上半身裸で扇風機の強風を浴びながらこの音楽を聴いていると、うおお! という気分になってくる。

 日本はもう熱帯と言っていいのではないだろうか。今年の梅雨も、梅雨というより雨期という感じだったし。日本人もそろそろこういうカリブ海的な気っ風を学ぶべき潮時なのかもしれない。
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2009年07月11日

溢れ出る涙/ローランド・カーク


溢れ出る涙(紙ジャケット仕様)
The Inflanted Tear
ローランド・カーク(ts,fl,その他いろいろ)
ロン・バートン(ピアノ)
スティーヴ・ノヴォセル(b)
ジミー・ホッジス(ds)


1968年録音


 アイドル歌手はたいてい可愛らしいが、アルバムで聴いたら見た目は関係ない。ローランド・カークは複数のサックスを一度に演奏する奇人だけど、アルバムで聴いたら、言われなければわからない。それなのに何度聴いても飽きない、ということは、そこには何か別の物語があるのだ。美人とか、変人とかとは別の次元のものが。

 若い頃は街角で演奏していたというが、この人の音楽は、その根っこの部分で街角の楽士のものなのだ。音楽を聴きに来たわけではない通りすがりのひとびと、街角の雑踏やざわめき、照る日や吹く風や砂埃。そこで演奏する音楽は、吹けば飛ぶようなデリケートなものではありえない。通行人がぎょっとして思わず足を止めてしまうような軽業めいたギミックと、一瞬で心に食い入るくっきりごつごつとした輪郭と、その場から離れられなくなるような率直でピュアな中身。それがローランド・カークの成分なのだろうと思う。
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2009年06月07日

ボディ・アンド・ソウル/コールマン・ホーキンス


ボディ・アンド・ソウル
Body and Soul

コールマン・ホーキンス(ts)



 iPodのハードディスクがいっぱいになって、新しいアルバムが入らなくなった。
 あまり聴かないのを削って空きを作ろうと思ったのだが、候補を絞るのが難しい。迷いに迷って悶絶し、我に返ったら新しいiPodを買っていた。強いストレスのため一時的に心神耗弱状態に陥ったらしい。
 ディスク容量は4倍になった。ちゃんと延長保証もつけてあった。

 4倍。簡単に言うけれど、これは大変な違いだ。ちょっと想像してみて欲しい。あなたの身長が4倍。体重が4倍。まつげの長さが4倍。眉毛の濃さが4倍。それはもはや、4倍のあなた、とは言えまい。別の人間だ。もしくは別の生き物だ。
 4倍の音楽生活もおそらく、今までの延長線上にはない。マニアでもコレクターでもないぬるい音楽生活を続けて30年。このペースだと4倍を使い切るには90年かかる。
 どうしよう。

 同じアルバムを何年も平気で聴いていたりするので、極端には枚数が増えないのだ。新しいアルバムを買う金がないので、古いので我慢しているというわけではない。いや、金はないけれど。
 昔、友達百人できるかな、という歌があった。ぼくは友達が百人できるかどうかより、百人も名前を覚えられるかどうかのほうが心配だった。名前も覚えられない相手を友達とは呼べないだろう。たぶん、知り合いになった人間の数が多ければ多いほど、人生幸せ、というわけでもない。
 きっと、音楽的な幸せも、聴いたアルバムの枚数に比例するわけでもないだろうと思う。
 というわけで、4倍のiPodでぼくは今日もコールマン・ホーキンスの「ボディ・アンド・ソウル」を聴いている。進歩なし。
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2009年05月07日

チタリン・シャウト/アーネット・コブ


チタリン・シャウト
Chittlin'Shout

アーネット・コブ(ts)
ジミー・フォード(as)
ジョー・ガラード(p,tb)
ドン・ジョーンズ(b)
カール・ロット(ds)


1971年録音



 音楽にはそれぞれ、それが聴かれるのにふさわしい状況、あるいは気分みたいなものがある。これはけっこう大切なことであって、どんな名盤でもそこを間違えると響いてこない。マヨネーズで生蕎麦を食うみたいなことになりかねないのだ。たとえば血に飢えた凶暴なヒールのプロレスラーの入場テーマ曲がビル・エバンスの「You Must belieave in spring」であってはならないし、6月の明るい雨の降る昼下がりに出窓のところに肘をついている髪の長いお嬢さんがBGMに聴いているのが「ジャズ・アット・マッセイ・ホール」の「Salt Peanuts」であってはならない。
 嬉しいときには嬉しいときに聴くべき音楽がある。哀しいときにもそのための音楽がある。楽しいとき、辛いとき、腹が減ったとき、食い過ぎたとき、微熱があるとき、満員電車でうんこがもれそうなとき、そのときこそ聴くべき音楽があるのだ。たぶん。

 で、このアルバムだが、これはヤケを起こしたときに聴くべき音楽である。そういう状況でこういう音楽を聴くと取り返しのつかないことになりそうだが、それはそれでいいんじゃないかと思うのだ。人生いろいろ。
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2009年05月04日

橋/ソニー・ロリンズ


橋
The Bridge

ソニー・ロリンズ(ts)
ジム・ホール(g)
ボブ・クランショウ(b)
ベン・ライリー(ds)


1962年録音


 このアルバムについては、知りたいことが2つある。

 ソニー・ロリンズは顔に似合わず繊細で、ときどき雲隠れして自分探しをする癖があるらしい。このアルバムを吹き込む前も2年くらい姿を消していて、その間どこかの橋の「歩行者専用道に自ら身を隠して」練習をしていたと、ライナーノーツに書いてある。それで復帰作が「橋」というタイトルになった、ということなのだろう。
 ぼくはこのくだりを前後の文脈から「人気のないところでこっそりと」という意味だと思っていた。そう読めばこそ、ロリンズのような大物でも人知れぬ努力を怠らないのだ偉いなあ、という解釈が成り立つわけだけれど、よく考えたら「橋」というのは人気のないところではない。交通の要衝なんだから当然人通りの多いところだ。その歩道でソニー・ロリンズがぶーぶー楽器を鳴らしていたら、人だかりができるだろう。狭い日本ならいざ知らず、アメリカでひとのいないところを探すのは難しくないはずだ。もし「人気のないところでこっそり」なら、このアルバムのタイトルは「原っぱ」とか、「山の中」がふさわしいんじゃないだろうか。
 だとしたら、「人気のないところでこっそり」という解釈は間違いで、「ストリート・ミュージシャンからやり直す覚悟で」と読むべきなのだろうか。それとも、アメリカの「橋」というのはぼくの考えているような「橋」ではないだろうか? 

 もう一つ。
 ぼくの持っている盤には8曲録音されているのだけれど、その最後の2曲はCDになって追加された「おまけ」のようだ。ボーナストラックで未発表曲や別テイクが追加されるのは珍しいことじゃないけれど、「If ever I would leave you」「The night has a thousand eyes」という2曲はロリンズの別のアルバム「ドント・ストップ・カーニヴァル」に入っている同名の曲と同じに聞こえてしょうがない。気のせいだろうか?
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2009年04月02日

ブルース・ア・プレンティ/ジョニー・ホッジス


ブルース・ア・プレンティ
BLUES-A-PLENTY

ジョニー・ホッジス(as)
ロイ・エルドリッジ(tp)
ヴィック・ディッケンソン(tb)
ベン・ウェブスター(ts)
ビリー・ストレイホーン(p)
ジミー・ウーディ(b)
トム・ウッドヤード(ds)

1958年録音



 こういうしたたるような楽園音楽を聴いていると、ここからまだ先がある、別の世界がある、と考えた連中がいたということが、どうもいまひとつ感覚的にのみこめない。それはたとえば手を伸ばせばいくらでも汁気たっぷりの甘い果実をもぐことができて、そこらの木陰に裸でごろごろ寝ていても風邪もひかなければ汗もかかず、虫に刺されたり獣にかじられたりする心配もないようなところに住んでいる連中が、どっか別のところに行きたい、と思うようなものだ。
 でも実際に、ここから出発して別のところにたどり着いた連中が何人もいたし、彼らが見つけたところもなかなか面白いところだった。青年は荒野を目指す、ということか。

 甘やかで、豊饒で、過剰で、爛熟した、レイン・フォレストみたいな音楽の楽園。危険があるとすれば、浸りきって外に出られなくなるという危険。
 聴きすぎると太るかもしれない。
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2009年03月08日

ジャズ・アット・マッセイ・ホール


ジャズ・アット・マッセイ・ホール
Jazz at Massey Hall

チャーリー・パーカー(as)
ディジー・ガレスピー(tp)
バド・パウエル(p)
チャールス・ミンガス(b)
マックス・ローチ(ds)

1953年録音


 そういやちゃんと読んだことがなかったな、と思いついて「アルプスの少女ハイジ」を読み始めたのだが、電車の中で読んでいてふと不安になった。ヒゲ面のいい年こいたおっさんが、こういう本を衆目の中で目を輝かせて読んでいていいものだろうか? 
 せめてBGM代わりにiPodで聴く音楽は、できるだけおっさんらしい、世塵にまみれたものとこのアルバムを選んだが、そういうバランスの取り方が世間さまにどう評価されるのかはまったくわからない。

 ライブ録音なのだけれど、ライナーノーツによればバド・パウエルは始まる前からぐでんぐでんだし、ガレスピーは同じ時間にやっていたボクシングのヘビー級タイトルマッチが気になって、しょっちゅうステージから消えてしまう。チャーリー・パーカーは楽器も持たずにやってきて(来ただけマシかもしれないが)、地元の楽器店で借りたプラスチックのサックスを演奏するというていたらく。録音もよくない。中でも一番ひどいと思うのは、そういう状況で録音されたこのアルバムが、ばりばりに楽しいという点だ。努力とか、真摯とか、謙虚とか、そういうものの立場はどうなるのだ。

 ハイジとマッセイホールのミュージシャン連中は、とても同じ種類の生き物とは思えないくらいかけ離れている。ハイジはアルムの山や木や花や風から引き離され、町に連れて行かれると病気になってしまう。一方マッセイホールのミュージシャン連中は、酒も女っ気もないアルムの山に隔離されたら二、三日で死ぬに違いない。
 にもかかわらず、マッセイホールの連中が、ハイジに似ている点が一つだけある。連中も、演奏中のほんのひとときだけかもしれないが、ハイジ同様、周りに幸せをふりまくのだ。
 それは認めてやらなくては、と思う。

 しかしまあ、すげえメンツ。
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2009年02月07日

アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション


アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション+1
Art Pepper Meets the Rhythm Section

アート・ペッパー(as)
レッド・ガーランド(p)
ポール・チェンバース(b)
フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)

1957年録音


 ぼくは学生時代に、映画を年に100本くらい観ていたことがある。
 当時、東京のあちこちに名画座というものがあって(いまでもあるけれど)、古い映画を2本立て(三鷹オスカーみたいに3本立てというのをやる名画座もあった)にして安く見せてくれる。ビンボー学生にはありがたい仕組みだった。「ぴあ」を片手に目当ての映画を探しては、昼飯代を浮かせて通い詰めたものだった。
 ロードショーにあまり行かなかったのは、新しい映画に興味がなかったからではない。一番の理由は単純に金が続かないということだが、効率の問題でもあった。新作は面白いかつまらないか半分賭だが、名画座にかかるような映画は、すでに時間と観客にふるいにかけられている。好みの問題を別にすれば、外れが少ないのだ。
 ・・・考えてみると、今の音楽の聴き方とそっくりだ。進歩してないなあ。


 ジャズと映画は似ているところがたくさんある。たとえばどちらにも万人の認める名画、名盤があって、広く知られている。
 世間の評判で音楽を聴くなんてつまらない、という意見には一理ある。だがアルバムを選ぶ参考にするのは悪いことじゃない。聴いてみて、それが自分にとって名盤なのかそうでないのかは、自分で決めればいいのだ。もし名盤というガイドラインがなかったら、数知れないアルバムを片端から聴いてみるしかなく、そんなことをしていたらぼくは今頃破産しているか、あるいはもっと確実性の高い別の遊び(たとえば競馬とか)に乗り換えていたかもしれない。


 名盤、という評判には、もうひとつの使い道がある。
 たとえば、「ミーツ・ザ・リズム・セクション」は名盤として名高いが、ぼくは最初どこがいいのかさっぱりわからなかったのだ。わかるけど嫌い、というのなら未練もないが、わからない、というのがしゃくで、意地になって何度も繰り返して聴いていた。そのうち癖になった。
 名盤たるゆえんがわかったかわからないかは実はよくわからない。でも好きなアルバムが1枚増えたのは確かで、大切なのはその点だ。もしこのアルバムが「名盤」でなかったら、そういうことは起きなかっただろうと思う。
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2009年01月24日

オリジナル・ジェリー・マリガン・カルテット


オリジナル・ジェリー・マリガン・カルテット
Gerry Mulligan Quartet

ジェリー・マリガン(bs)
チェット・ベイカー(tp)
ボブ・ホイットロック(b)
カーソン・スミス(b)
チコ・ハミルトン(ds)
ラリー・バンカー(ds)

1952〜53年録音


 50年代のはじめにおいて、彼らの音楽はどれだけかっこよかったのだろう、と思う。その時代のその場所に身をおいてみないとわからないタイプのかっこよさ、というものは確かにあって、このアルバムにはそういう熱の名残がある。灼熱の溶岩が、テレビ画面の向こうからでも温度のない熱みたいなものを発散するように。
 そしてまた、時代が移り変わっても変わらないタイプのかっこよさ、というものもある。こっちは半世紀も前に録音されたこのアルバムにばっちり封じ込まれている。石に封じ込まれた凶悪強大な魔物みたいに。


 このかっこよさは、このアルバムの歴史的な価値とはたぶんあまり関係ない。メンバーがみんな若くてかっこいいこととはたぶんちょっと関係がある。しかしなによりもこのアルバムをかっこよさしめている(?)のは、こいつらの、おれたちが世界を変えてやる、という不遜かつ不穏な空気なのだ。

 それはいつでも、どこでも、かっこいい。
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2009年01月17日

ジャグ/ジーン・アモンズ


Jug
JUG

ジーン・アモンズ(ts)
リチャード・ワイアンズ(p)
クレランス・アンダーソン(p,org)
ダグ・ワトキンス(b)
レイ・バレット(conga)
J.C.ハード(ds)

1961年録音


 正月早々引きこんだ風邪が、どうもすっきりとは治らない。熱は下がったし、頭痛とだるいのもよくなったのだけれど、何かの拍子に、たとえばぬくぬくと布団にもぐって本を読んでいるときなどにふと、肩口から水を一筋流し込まれるように悪寒が走ることがある。風邪の尻尾が身体の芯から抜けきっていないみたいだ。中途半端で気色が悪い。じゃあいっそこじらせてやろう、とは思わないけれど。
 ひょっとしたら栄養が足りていないのではないか、と思いついて、食欲が戻ったのをいいことにお好み焼き屋でお代わりしたり、回転すし屋で暴食したりしてみた。腹は張ったが、風邪が抜けるかどうかはまだわからない。

 こういうときには音楽も、小難しいチャカチャカしたやつじゃなくて、もっと身体の温まる、栄養のあるやつがよい。というわけで、ここ数日、このアルバムを繰り返し聴いていた。
 もし風邪に効く音楽がというのがあるとすれば、きっとこういうやつだろうと思う。
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2008年12月08日

ドミノ/ローランド・カーク


ドミノ
DOMINO

ローランド・カーク(fl,ts,ほか)
ハービー・ハンコック(p)
ウィントン・ケリー(p)
アンドリュー・ヒル(p)
バーノン・マーチン(b)
ロイ・ヘイズ(ds)
ヘンリー・ダンカン(ds)

1962年録音



 サックスを3本一度に演奏したり、鼻でフルートを吹いたり、耳から万国旗を出したりするという噂だったのでおそるおそる聴いてみたのだけれど、ローランド・カークの音楽は、拍子抜けするくらいピュアなのだった。

 音楽的なギミックはあちこちに用意されてはいるし、それはそれで面白いのだけれど、それよりぼくは、この人の音楽のどこかにある、シンと静かなところが気になった。都心の賑やかな繁華街を歩いていて、表通りからふと路地を入ると、一歩ごとに引き潮のように車と雑踏の音が引いていって、まるでガラス蓋に守られたみたいな静かな古い住宅地に出ることがあるけれど、ちょうどあんな感じ。ぶんぶんと回転する独楽の心棒がいつもひとところにとどまっているように、音楽に静かで密やかな芯みたいなものがある。それがなんだか、笑わない道化師のように哀しい。
 3本のサックスを同時に演奏する方法より、なんだかそっちが気になる。
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2008年10月23日

ソウル・ステーション/ハンク・モブレー


ソウル・ステーション
SOUL STATION

ハンク・モブレー(ts)
ウィントン・ケリー(p)
ポール・チェンバース(b)
アート・ブレイキー(ds)

1960年録音



 ハンク・モブレーはB級テナーとか地味だとかマニア好みとか言われることがあるけれど、どうしてなんだろうとぼくは思う。こんなにキャッチーで、気色のいいテナーを吹くひとはそうはいない。一度聴いただけで旋律を覚えてしまうような、無意識にふと鼻歌に出てあれこれ何の曲だっけ、と首をひねるような、そんな気安さがこのひとの音楽の持ち味である。逆に言えば青筋たてて突進するような緊迫感には欠けるのかもしれないけれど、そういうのはまた別のところで楽しめばいいと思う。


 ちなみにB級テナーとか地味とかで始まるハンク・モブレー評の多くは「B級テナーと言われる」「地味ではある」みたいに転調することが多い。要はほめているのだ。
 映画でも小説でも音楽でも、こういう文脈で語られる作品はだいたいアタリである。アカデミー作品賞に輝いたり、グラミー賞をもらったりすることはないけれど、受け手から寄せられる「気に入った」「好き」の総量を積み上げてみると、傑作と呼ばれる作品に優に匹敵したりするのだ。


 こういう作品にはたまに巡り会うし、そういうひとにも時々出会う。
 そんなとき、ぼくは何日か上機嫌でいられるのである。
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2008年08月17日

バード・アンド・ディズ/チャーリー・パーカー&ディジー・ガレスピー


バード・アンド・ディズ
BIRD AND DIZ

チャーリー・パーカー(as)
ディジー・ガレスピー(tp)
セロニアス・モンク(p)
カーリー・ラッセル(b)
バディ・リッチ(ds)

1950年録音



 ぼくにもかつて、良いものは良いひとが作っているのだ、と思い込んでいた牧歌的な時代があった。だから好きなアーティスト(小説家とかミュージシャンとか俳優とか)の悪い話を聞くと人なみに幻滅したりしていたのだけれど、ジャズに出会って、そういうのは思春期の初恋みたいに美しい勘違いだったのだ、と思うようになった。そんなことを言っていたら、ジャズなんか聴いていられないのだ。


 たとえばマイルス・デイビスだって相当な悪党だとぼくは思うが、彼の自伝に出てくるチャーリー・パーカーはマイルスが手を焼くトラブルメイカーである。彼のトラブルはまわりを巻き込むばかりか、彼自身も痛めつけて、その結果この不世出のサックス・プレイヤーは34歳で世を去ることになる。
 にもかかわらず、チャーリー・パーカーの音楽はかっこよく、美しい。もうほんと、どうしようもない。


 チャーリー・パーカーと盟友ディジー・ガレスピーとの掛け合いは鳥肌ものだが、もうひとつの聴きどころがセロニアス・モンクの妙なピアノだ。ぼくはこのひとの演奏は、リーダーアルバムよりサイドマンで参加しているときのほうが面白いと思う。音楽のその部分が、魚眼レンズで覗いたときみたいにぐにょーんと歪んで、それでいて音楽にぴったりとはまっているという、奇妙で不思議な体験ができるからだ。
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2008年07月25日

サムシン・エルス/キャノンボール・アダレイ


Somethin' Else
Somethin' Else

キャノンボール・アダレイ(as)
マイルス・デイビス(tp)
ハンク・ジョーンズ(p)
サム・ジョーンズ(b)
アート・ブレイキー(ds)

1958年録音


 むちゃくちゃ暑い。空気が煮詰まって半透明のスープになりそうだ。ヘタにアスファルトの上になんか出ていけない。横断歩道を渡る間にミディアムレアくらいにはなってしまう。
 日が落ちれば痛い日差しからは逃れられるが、今度はコンクリートにたっぷり蓄えられた熱エネルギーがじんわりまったりとしみ出してくるので容易に気温は落ちない。加えて諸価高騰のおり、自分の部屋ではクーラーを使わないと決めている。この夏は扇風機でしのぐのだ。
 こんな夜に、何を聴くべきか。


 そうだ、マイルスを聴こう。


 ひとはどうか知らないけれど、ぼくはある時期のマイルス・デイビスを聴いていると、まわりの気温が若干下がるような気がする。それは涼しい、というのとは少し違う。クール、という語感も違和感がある。
 闇夜の静けさ、月光の怜悧さ、人気の絶えた交差点のどこか邪な感じ。そういったものがふらりと立ち上ってきて、わけもなく動揺したりする。血液がすっと頭から下がっていく。

 ちなみに、このアルバムのリーダーはマイルスではなく、キャノンボール・アダレイだ。が、どんなガイド本を読んでも実質上のリーダーはマイルスだ、と書いてあるので、ぼくもついマイルスのアルバムのつもりで聴く癖がついてしまった。
 だがまあ、それはどうでもいいことだ。大切なのは、「枯葉」という曲に奇妙な冷房効果があり、それはエネルギーをがぶ飲みするクーラーのたぐいとは別の原理で動いているらしい、ということである。
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2008年07月12日

ナイト・ライツ/ジェリー・マリガン


Night Lights
Night Lights

ジェリー・マリガン(bs,cl,p)
アート・ファーマー(tp)
ボブ・ブルックマイヤー(tb)
ジム・ホール(g)
ビル・クロウ(b)
デイブ・ベイリー(ds)


1963,1965年録音


 昼間にうんざりするほどひとに会うのだから、せめて夜くらいほっといてほしいと考えているくちだ。おまけに酒が飲めないので、夜の街に出かけていくことはあまりない。夜の街はぼくにとっては、その中にいるものではなくて、離れたところから眺めているものである。
 華やかなイルミネーションも、騒がしいネオン街も、ひとの気配を感じないくらい遠くから眺めていると、別のものに見えてくる。音の聞こえない打ち上げ花火のように淋しく、夜の浜辺に打ち上げられた星屑みたいにきれいだ。あのどこかで酔っぱらいがゲロを吐いているのだと考えると興ざめだが、そういうことを考えても得をすることはなにもない。


 「ナイト・ライツ」はその名の通り夜景にぴったりの音楽だが、まわりに人のいないところで聴くとさらにぐっとくるのではないだろうか。高層マンションのペントハウスなんかよさそうだが、ペントハウスはどうすれば買えるのかよくわからないので、こっそり会社の屋上にでも忍び込んで夜景を眺めつつ、というのもいいかもしれない。


 世の中には、ちょっと離れたところから眺めたほうがきれいたものがいくつかある。
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2008年05月25日

あなたと夜と音楽と/フィル・ウッズ


あなたと夜と音楽と(紙ジャケット仕様)
You And The Night And The Music

フィル・ウッズ(as)
ブライアン・リンチ(tp)
ジム・マクリーニ(p)
スティーブ・ギルモア(b)
ビル・グッドウィン(ds)

1993年録音


 フィル・ウッズは50年代から活躍するベテランで、このアルバムを吹き込んだときには60歳をすぎている。この年になると普通は円熟の極みとか枯淡の境地とかに達するのではないかと思うが、このじーさまに率いられたクインテットはそんな優雅な代物ではない。現役ばりばりの戦闘部隊として最前線で暴れまくる。古参軍曹フィル・ウッズと、25歳くらい年下のブライアン・リンチ(ジャズ・メッセンジャーズの最後のラッパ吹きだそうだ)が肩を並べて吹きまくるフロント・ラインは、シャープかつ豊饒で爆竹の束が立て続けにはじけ飛ぶように気色良い。フィル・ウッズの年を知らなければ、若くて元気でよろしい、と書いただろう。つまりは若くて元気でよろしいアルバムなのだ。


 曲目はどれも映画音楽のスタンダードで耳に親しく、フィル・ウッズの伸びまくるアルトと相まって、聴き易すぎるくらい聴き易い。ドライブしながらなどBGMとしても楽しいが、ここはあえてコルトレーンやモンクでも聴くつもりで、瞑目かつ腕組みでもしつつ、沈思黙考しながら集中して聴く、という聴き方をオススメしたい。このアルバムの本当の愉しさに気づくはずだ。ぼくはそうだった。
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2008年05月11日

ウィンター・ムーン/アート・ペッパー


Winter Moon
Winter Moon

アート・ペッパー(as)
スタンリー・コーウェル(p)
ハワード・ロバーツ(g)
セシル・マクビー(b)
カール・バネット(ds)


1980年録音


 ぼくは子どものころ、みんながスイカに塩を振りかけるのが納得いかなかった。甘みがスイカの身上なのに、なぜわざわざそれを打ち消すようなことをするのだろう。スイカに失礼ではないか。
 スイカに塩をかけて食べるようになったのは、もう少しあとのこと。ひとを好きになり、別れ、スイカも人生も、甘いだけが味わいではない、ということに気づくくらい、大人になってからのことだった。
 ウソだけど。


 いずれにしても、「酸いも甘いもかみ分けた」という言葉があるくらいだから、相反する要素が食べ物や人生に奥行きを持たせるのは確かなようで、だったら音楽だって同じに違いない。アート・ペッパーの乾いたアルトに、水気たっぷりのストリングスというのは、スイカに塩以上に、隠し味を引き出す絶妙の組み合わせだった。よい音楽を聴いていると情景が浮かんでくることがあるけれど、このアルバムを聴いていて浮かんできたのは、どこかの大都会の人気のない街角に、凍えるように冴えわたる月明かりに照らされて、コートの襟を立てて立ちつくす初老の男、という、どこかで見た映画の一シーンみたいな風景だった。


 彼は誰を待っているのだろう? 
 どこに行こうとしているのだろう?



 このアルバムは、pororompaさんのブログで知った。どうもありがとうございました。
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2008年04月27日

ブルースの真実/オリバー・ネルソン


Blues & The Abstract Truth (Reis) (Rstr)
The Blues and the Abstract Truth

オリバー・ネルソン(as,ts)
エリック・ドルフィー(as,fl)
フレディ・ハバード(tp)
ビル・エバンス(p)
ポール・チェンバース(b)
ロイ・ヘインズ(ds)


1961年録音

 たまにブルースの日、というのがあって、今日は一日このアルバムを繰り返し聴いていた。ブルーだからブルース、というわけでは全然ない(だいたいブルースは憂鬱な曲、というわけではない。それは淡谷のり子の聴きすぎ)。ぼくはどちらかというと余裕な気分のときに、ブルースを聴きたくなる。その黒っぽいごつごつしたエネルギーを消化するには、こちらにもそれなりの体力がいる。よっしゃ今日はひとつブルースでも聴いてみるかな、という気分になるには、多少、精神的なのりしろみたいなものが必要なのだ。
 そういう意味では、このアルバムが聴きたくなるのはぼくにとっては健康の証しみたいなところがあって、歓迎すべきことである。昔「今日も元気だタバコがうまい」というコピーだかキャッチフレーズだかがあったらしいが、気分は似ているかも知れない。
 
 オリバー・ネルソンという名前をこのアルバムを聴くまで知らなくて、カントリーの人じゃなかったっけ、とか思っていた(それはウィリー・ネルソン)とか、オリバー・ネルソンとエリック・ドルフィーの音の区別がいまいち付かない、といった問題はあまり本質的ではないので、内緒にしておこう。
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2008年04月02日

モーニング・アイランド/渡辺貞夫


モーニング・アイランド
Morning island

渡辺貞夫(as)
デイブ・グルーシン(p)
ジェフ・ミロノフ(g)
フランシスコ・センテーノ(b)
スティーブ・ガッド(ds)


1979年録音


 どんなことにも“はじめて”がある。はじめての鼻血、はじめての骨折、はじめてのC、はじめてのジャズ。

 ぼくのジャス散歩は実にこの1枚から始まった。サッチモも、ビル・エバンスも、グラッペリもヘレン・メリルもマイルスもウェス・モンゴメリーもミルト・ジャクソンもピーターソンもブラウニーもチック・コリアもパコ・デ・ルシアもアート・ブレイキーも、渡辺貞夫がいなければ出会わなかったかもしれない。そう思うといとおしい、ぼくにとっての奇跡の1枚。

 LPを手放してからずっと手元になくて、ずいぶん久しぶりに通して聴いたのだけれど、発見がいくつかあった。

(1)渡辺貞夫のフルートって上手いのだろうか?
(2)アルバムを通して聴くと、やっぱり違う。
(3)フュージョンだったのか!
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2008年03月23日

スタン・ゲッツ・プレイズ


スタン・ゲッツ・プレイズ+1
Stan Getz Plays

スタン・ゲッツ(ts)
デューク・ジョーダン(p)
ジミー・レイニー(g)
ビル・クロウ(b)
フランク・イソーラ(ds)

1952年録音


 「アマデウス」という映画の中で、モーツァルトの書いた楽譜を調べているライバルの宮廷音楽家サリエリが、とんでもないことに気が付くシーンがある。モーツァルトの楽譜には、書き直しや修正の痕がひとつもないのだ。つまりその音楽は、モーツァルトのおつむの中から取り出されたときにはすでに完成しており、推敲や試行錯誤を必要としないのである。
 サリエリは戦慄する。

 この逸話が本当なのか、それとも演出なのか、ぼくは知らない。が、映画の中のサリエリの気持ちは分かる気がする。ぼくもスタン・ゲッツを何の気なしに聴いていて、ふと、鳥肌が立つことがあるからだ。
 これ、本当にアドリブ? 
 このメロディがその場で瞬時に紡がれているの?
 
 モーツァルトの音楽がいまも世界中で聴かれているのは、(本当かどうかはともかく)彼が楽譜の修正を必要としない天才だったから、ではもちろんない。聴き手に届くのは音楽そのものでしかなく、それがどういう過程で作られたのかはほとんど意味がない。
 同じように、スタン・ゲッツの音楽が、アドリブで生み出されたものだからこそ価値がある、とはぼくは思わない。同じ音楽がもし試行錯誤と研鑽を経て精密に組み立てられたとしても、ぼくは同じように感動するだろう。

 にも関わらず。
 ぼくはスタン・ゲッツを聴くたびに落ち着かない気持ちになる。そこにはぼくの理解が及ばない、奇妙で不思議で謎めいた何かが隠されているようなのだ。スタン・ゲッツの音色が温かく、メロディが聴きやすいから、なおさら気になる。不安といってもいいかもしれない。
 ちょうど隣の席の気さくでちょっと可愛らしい同級生の女の子が、実はアルファ・ケンタウリの生まれなんだ、と聞いたときみたいに。

 ぼくがこのアルバムを繰り返して聴くのは、たぶんその不安のせいなのだと思う。
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2008年01月12日

バラード/ジョン・コルトレーン


バラード
Ballads

ジョン・コルトレーン(ts)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)


1961〜62年録音


 ここだけの話だが、コルトレーンが苦手だ。
 ジャズを聴くものとしては若干後ろめたい。


 本領を発揮しているときのコルトレーンは、正座して般若心経を聴いているような気分になってくるのである。たぶんそこには、宇宙の大真理が語られているのだ。理解すればきっといいことがあるのだ。
 が、宇宙の大真理が毎晩必要かというと、そういうわけでもない。
 宇宙の大真理の代わりに、「バラード」が必要な夜も多いのだ。


 「あのときはマウスピースを壊してしまっていつもの早さで演奏できなくなって、困り果てたあげくの産物なんだよ」とコルトレーンが自分で言っているらしいけれど、もしそれが照れ隠しじゃなくて本当なら、たまにマウスピースが壊れるのも悪いことではないんじゃないだろうか。
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2007年12月04日

ボス・テナー/ジーン・アモンズ


Boss Tenor (Reis)
boss tenor

ジーン・アモンズ(ts)
トミー・フラナガン(p)
ダグ・ワトキンス(b)
アート・テイラー(ds)
レイ・バレット(コンガ)

1960年録音



 テナー吹きでなくてよかった、と思った。


 もしぼくがテナー・サックス吹きだったら、これを聴いたあと、いったいどうすりゃいいのかわからなかっただろう。場末のバーで「することがなくなっちゃったよう」と泣きじゃくりながら倒れるまでクリームソーダーを飲み続けたと思う(ぼくは下戸である)。
 が、幸運にもぼくはテナー吹きではないので、無責任に喜んでいればいい。この世界には、テナー吹きでない幸福もある。


 もちろん、テナーでやれることはほかにもいっぱいある。ソニー・ロリンズや、スタン・ゲッツや、コルトレーンや、ウェイン・ショーターがそういうことをたくさんやって、中にはずいぶん遠くまで行った人もいる。
 にもかかわらず、ぼくはこのアルバムを聴くたびに同じことを思うのだ。


 テナー吹きでなくてよかったなあ。
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2007年11月28日

YANO SAORI/矢野沙織


YANO SAORI
YANO SAORI

矢野沙織(as)
ハロルド・メイバーン(p)
松島啓之(tp)
ナット・リーヴス(b)
ジョー・ファーンズワース(dr)


2003年録音



 録音当時、矢野沙織は16歳の女子高生だった。

 チャーリー・パーカーと矢野沙織はどこが違うのだろう。

 一方は1920年生まれのアメリカの黒人でジャンキーで、もう一方は1986年生まれの日本の女子高生だ。違うといえばいろいろ違う。
 だが、ぼくのiPodの中では、そういう人物属性は特に意味がない。ふたりとも「Jazz-サックス」というカテゴリーに入っており、同じ曲を演奏している。

 玄人の聴き手なら、二人のテクニックや、アドリブの組み立て方について、あるいは作曲の技法について、差や違いをいくらでも並べ立てることができるだろう。が、あいにくぼくはそういう方面にはとんと疎い。ぼくにわかるのは、いま、どちらか一方の演奏を聴く権利が与えられ、もう一方と手をつないでディズニーランドに遊びに行ける、という選択肢を与えられたら、たぶん迷わないだろうな、ということだ。


 ただし、チャーリー・パーカーと矢野沙織には決定的な違いがひとつある。チャーリー・パーカーは死んでいて、矢野沙織は生きている、ということだ。
 矢野沙織はこれからも演奏を続けるが、パーカーはそうはいかない。これはさしものパーカーにとっても、かなり不利な点だと言えるのではないだろうか。
 いつかはぼくが、チャーリー・パーカーとディズニーランドに行くほうを選ぶ日が来ないとは限らない。

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2007年09月04日

ゲッツ/ジルベルト


ゲッツ/ジルベルト
Getz/Gilberto

スタン・ゲッツ(ts)
ジョアン・ジルベルト(vo、g)
アストラッド・ジルベルト(vo)
アントニオ・カルロス・ジョビン(p)
トミー・ウィリアムス(b)
ミルトン・バナナ(ds)

1963年録音



 言葉には役割がある。
 たとえばフランス語は、口喧嘩には向いていない。戦闘用語としてはドイツ語やロシア語や広島弁に数段劣る。その代わりに女の子を口説くには実力を発揮するだろう。イタリア語はオペラには最適だが、あの勢いで江戸前落語をやられたらワビもサビもあるまい。


 で、やっぱりボサノバは、ポルトガル語がいい。
 あの柔らかい、つぶやくようなポルトガル語がいい。
 ぼくはポルトガル語はおはようも言えないけれど、歌詞を覚えてしまった。


 おーりゃきくいざましぇりんだんまいしぇでぃげらっさ・・・


 このアルバムの中で、スタン・ゲッツがどんな役割を果たしているのか考えることがよくある。テナーがいないほうが、アルバムとしてのまとまりはよいような気がしてならないのだ。実際、「イパネマの娘」はスタン・ゲッツのソロが入ってくると、微妙に風景が変わる。違和感があるわけではない。スタン・ゲッツの柔らかい音色は、ボサノバとポルトガル語のように、この音楽の中でぴたりとはまる。だが、仲の良い家族の中に、礼儀正しく親しみ深いが知らない男がひとりまざったみたいに、少しだけ空気が変わる。あ、鼻はほじれないな、屁をこくわけにはいかないな、といったふうに。
 あ、それがスタン・ゲッツの役割なのか。



 たぶんその風景の変わりぐあいが、このアルバムが半世紀近く聴きつがれてきた理由なんだろうな、とぼくは思う。
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2007年08月21日

サキソフォン・コロッサス/ソニー・ロリンズ


サキソフォン・コロッサス
Saxophone Colossus

ソニー・ロリンズ(ts)
トミー・フラナガン(p)
ダグ・ワトキンス(b)
マックス・ローチ(ds)

1956年録音


 
 音楽には聴くべきときがある。


 たとえば3人前くらい働いて、平らなところを歩いていてもつまづくくらい疲れ果てて帰ってきたこんな夜には何を聴くべきか。
 ヘレン・メリルに慰めてもらう、とか、ビル・エバンスの幻想に浸りきる、とか、MJQのブルースでクールダウンする、という手もある。
 明日は休み、というのならそれもよいかもしれない。



 だが、今日はまだ火曜日で、週末は休日出勤までせにゃならん。べそをかいておうちに閉じこもっていられる身分でもない。



 しょうがない。こういうときのために、あまりしょっちゅうは聴かずにとってあるこいつを聴こう。ロリンズのテナーと、マックス・ローチのドラムからエネルギーをもらうのだ。
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2007年08月10日

エイプリル・イン・パリ〜チャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングス


エイプリル・イン・パリ~チャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングス+4
April in Paris

チャーリー・パーカー(as)
スタン・フリーマン(p)
レイ・ブラウン(b)
バディ・リッチ(ds)


1949年録音



 ジャズマニアからは神様扱いされているチャーリー・パーカーだけど、ぼくは最初、どこがよいのかよくわからなかった。本当にうへえ、と思ったのはこのアルバムからだ。
 チャーリー・パーカーのサックスは、まるで口笛のように身軽で、まるで鳥がさえずっているみたいにコロコロと流れる。 
 だから「バード」ってあだ名なのだろうか。


 不思議なもので、一度すげえなあ、と思うと、前にどこがよいのかわからなかったアルバムの聴きどころがなんとなく見えている。ウィズ・ストリングスは甘すぎると嫌うひとがいるけれど、こんな効用もあるんだから、堅いこと言わないで許して欲しいと思う。


 で、チャーリー・パーカーはさっさと麻薬なんかやめて、もうちょっとゆっくりしていけばよかったのに、とぼくは思う。
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2007年08月06日

サーフライド/アート・ペッパー


サーフ・ライド
Surf Ride

アート・ぺッパー(as)
ハンプトン・ホーズ(p)
ジョー・モンドラゴン(b)
ラリー・バンカー(ds)


1952〜54年録音


 アート・ペッパーの身体の中には、鼻の下まで歌がいっぱいつまっている。そいつは、ふちを乗り越えようと盛り上がるコップの水みたいに、彼がマウスピースをくわえて堰を切る瞬間をいまかいまかと待っているみたいに、ぼくには思える。

 もちろん、そんなに簡単なものであるはずがない。もしそんなに易々と歌うことができるのなら、アート・ペッパーの人生はもっとシンプルなものだっただろう。
 わかっちゃいるが、楽そうだ。それがアート・ペッパーの魔法の肝である。

 ジャケットだけはあんまりだと思うけど。
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2007年08月01日

ウェイ・アウト・ウェスト/ソニー・ロリンズ

ウェイ・アウト・ウエスト+3WAY OUT WEST

ソニー・ロリンズ(ts)
レイ・ブラウン(b)
シェリー・マン(ds)

1957年録音



 ぼくはこのアルバムを「ちゃかぽこ」というあだ名で呼んでいる。
 

 こういう編成でピアノがいないと、むき出しというか、丸出しというか、フリチンというか。逃げも隠れもできない荒野の三人組だ。ソニー・ロリンズのすっとぼけた豪快プレイのひきたつこと。
 カウ・ボーイが焚き火を囲んで演奏しているみたいで楽しい。豆とベーコンでも食いながら聴いたら似合うだろう。


 LP時代、東京中探し回ってもこのアルバムがどうしても手に入らなくて、諦めかけていたら、地元の小さいレコード屋で見つけて腰を抜かしたことを思い出した。


 それにしても、CDのボーナストラックというのはなんとかならんのだろうか。このアルバム、同じ曲が3組入っていた。いくらカウ・ボーイだってやりすぎだ。
 iPodが壊れたのかと思ったぞ。
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2007年07月18日

アワ・マン・イン・パリ/デクスター・ゴードン


アワ・マン・イン・パリ+2
OUR MAN IN PARIS

デクスター・ゴードン(ts)
バド・パウエル(p)
ピエール・ミシュロ(b)
ケニー・クラーク(ds)

1963年録音




 ものには、持って生まれた本質みたいなものがある。
 それそのものの色、とか、それそのものの香り、とか、それそのものの味とか。
 同じように、それそのものの音、というのがある。


 ぼくはデクスター“おやびん”ゴードンのテナーを初めて聴いたときに、

 
 あ、テナーサックスそれそのものの音だ


 と、思ったのだ。

 

 その音は、昔サキソフォンという楽器に興味を持って音楽室準備室に忍び込んだぼくが、マウスピースに力任せに息を吹き込んだときに出た音にそっくりだった。
 ぼくはその音に自分で肝をつぶして、危うくサックスを取り落とすところだったのだ。


 で、何が凄いって、あの音のあの勢いで音楽をやっている。
 これは聴くしかあるまい。
 しゃがれ声のスキャット。


 で、テナーのスキャットばっかりじゃなくて、なんか後ろで盛んに唸っているなあ、と思ったら、バド・パウエルだった。
 
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